2010/01/21

日経メディカルオンラインより

先日、日経メディカルの記事の紹介を書きましたが、サイトに入るには様々な登録をしなければならいし、医療関係者ではないので入りにくいという意見もありまいた。

そこで無許可ですが、全文コピーさせていただきます。



過敏性腸症候群に重症不整脈の追い討ち
患者となって東洋医学の力を知る
社会保険中央総合病院・呼吸器内科部長 徳田

日経メディカルより

社会保険中央総合病院 呼吸器内科部長 徳田 均氏 Hitoshi Tokuda
1948年生まれ。73年東大卒。77年癌研究会付属病院、81年結核予防会結核研究所付属病院、87年結核研究所第二臨床研究科長、91年より社会保険中央総合病院呼吸器内科部長。

   ☆ 

 今から7年ほど前、仲間とクロスカントリースキーを楽しんでいる最中、激しい胸苦しさに襲われました。搬送先での診断は心房粗動。これをきっかけに、医師としての自分は大きく変わりました。

心房粗動から心房細動を発症
 それまで、「不整脈なんて他人事」と思っていましたが、連日のように自身が襲われると、本当につらいものでした。

8カ月間の薬物療法の後、意を決してカテーテルアブレーションを受け、成功。「やっと解放された」と思ったのもつかの間、数日後から再び動悸が始まり、今度は発作性心房細動を起こしてしまいました。

抗不整脈薬やワルファリンなどを飲んでも、症状は改善しません。追い討ちをかけるように、持病の過敏性腸症候群や極度の足の冷えにも悩まされました。「もう治らないのではないか」。不安を常に抱えながら、病院の呼吸器内科部長としての多忙な業務をこなす毎日でした。

そんなある日、親しくしていた外来の患者さんに自分の病気について話す機会がありました。病状とその経過を話すと、患者さんはこう言うのです。「私がお世話になっている指圧師をご紹介しましょうか。いろいろな症状の方がそこで治っていくようです。一度行かれてみてはいかがでしょう」。

指圧で症状が劇的に改善
 以前の私だったら、「何を非科学的なことを」と一蹴していたはずです。エビデンスのあいまいな東洋医学に対しては、懐疑的でしたから。ただ、その時は、患者さんのアドバイスを素直に受け入れました。西洋医学の治療で効果が期待できないなら、東洋医学にかけるしかないと考えたのです。

初めて訪れた時、指圧師さんにこう言われました。「自律神経失調症ですね。あなたの症状は、すべて肩から首にかけての凝りから来ています。これは大学卒業後の30年間の激務で溜まった凝りのようですが、ほぐせば必ず良くなりますよ」。

通い始めて3回目ぐらいから、何となく調子がいい感じがしました。そして半年後には、驚いたことに心房細動の頻度は大幅に減り、15年来悩んでいた過敏性腸症候群や冷えも、ほとんどなくなっていったのです。

その後、私の患者さんで治療に難渋した難治性肺疾患の方に、指圧を勧めたことがありました。肩が鉛のように硬く、手足も冷えるとの訴えでしたが、指圧治療を受けて肺の症状もみるみる良くなっていきました。

もちろん、東洋医学が誰にでも効くというわけではないでしょうし、指圧師の技量に負う部分も大きいとは思います。とはいえ、東洋医学の力を認識できたことで、西洋医学一辺倒だった私の診療スタンスは、それまでとは大きく変わりました。

不定愁訴の患者に共感
 私の外来には、いわゆる“不定愁訴”の患者さんが多く訪れます。胸痛、腹痛、何とも言えない違和感…。
 話を詳しく聞くと、たいていの人は他の病院で一通りの検査をされ、「どこも悪くないですよ」「その症状に合う薬はありません」などと、医者から突き放された経験を持っています。

 私も以前は、そうした“冷たい”医者の一人でした。ところが、指圧の効果を身を持って知った後は、考えを改めました。「患者の訴えには、必ず理由がある」。西洋医学の視点では分かりづらい病因も多くあると、肝に銘じるようになったのです。

 それに伴い、診察の際の視野も広がり、自律神経系の乱れに着目するようなりました。不定愁訴の患者さんを理学的に診察すると、以前の私と同じような身体的特徴(肩凝り、指圧師さんから学んだ腹部の特有の所見など)を持っている例が非常に多い。患者さんの肩に触れてひどく凝っている場合は、漢方薬などを処方し、併せて指圧治療も勧めたりしています。

 東洋医学的なアプローチは、必ずしも、西洋医学と相容れないものではありません。西洋医学的にも、頸部から胸郭への移行部に存在する星状神経節が自律神経の司令塔であることは知られており、肩凝りの治療で心房細動が改善するのも、決しておかしな話ではありません。

 私は、西洋医学と東洋医学それぞれに長短があり、同等の価値があると考えています。今は、自分の“武器”が2つに増えた気がしています。

4年の研究を経て臨床に復帰
 実は私は、それ以前にも病気に悩まされています。
今は呼吸器内科医ですが、30代の終わりまでは、外科医としてメスを握る毎日でした。来る日も来る日も仕事に追われて休みはなく、精神的にも疲れ果ててきたころ、過敏性腸症候群を患いました。食事を取ることもままならなくなり、わずか2年の間に10kgもやせてしまいました。

結局、外科をやめて研究に従事しましたが、やっぱり臨床の現場が恋しくなり、4年後に内科医として再スタートを切りました。メスを置いた際は、「もう十分に働いた」と思っていたのですが。

臨床医であり続けるには、ちょっと休憩が必要だったのでしょう。もしあのペースで仕事を続けていたら、身体も心も壊れていたかもしれません。過敏性腸症候群にかかったのは、自分を見つめ直し、再出発を切るためだったのだと感じます。

振り返ると、外科医時代の私はずいぶん傲慢でした。患者には「手術すれば治るから。ただ私の言うことを聞いていればいい」という態度で接していました。 

それがその後、内科に転じ、東洋医学と出合って、患者の不定愁訴に共感を持って耳を傾けるようになるとは…。人生とは面白いものです。
病気はつらいものですが、私の場合、次の舞台に移る大きなきっかけになっています。その巡り合わせに不思議な縁を感じると同時に、本当に感謝しています。病気に対してそう言うのは、変かもしれませんが。(談)
(まとめ:和田紀子=日経メディカル)

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