2012/08/18

芭蕉 そして俳句甲子園

名古屋市博物館

芭蕉―広がる世界、深まる心―


という催しがある。





今年は名古屋市博物館会館35周年。芭蕉展は記念特別展となっている。

開催期間は9月29日から11月11日。入場が午後4時半までだそうだ。

以前、博物館の駐車場へ車をおいて入場しようとしたらすでに時間が過ぎていて、駐車料金だけ払ったという苦い思い出がある。
公的な施設は終了が早すぎる。
勤労者には観せたくないのだろうかと勘ぐってしまう。

ともあれ、芭蕉は日本が世界に誇ることの出来る数少ない芸術家なので一度は行ってみたい。

芭蕉の凄いところは芸術と生涯が不即不離に直接していることだろう。
そうした生き方は傍で考えるほど簡単ではない。
才能に加えてやり遂げるだけの環境作りも必要だ。

彼は業俳といって俳諧を職業としていた。
俳諧や連句の宗匠として社会に寄生していたのだ。
しかし生活のために才能を切り売りするのではなく、生涯を、生活そのものを作品として価値あるものとして創造し続けた。これは他の追随を許さない。

芭蕉の生き方や俳諧に心打たれた多くの弟子たちが各地にいて、彼はそこを訪れることで口に糊をした。「奥の細道」なども各地の弟子を訪れていくことで成り立っている。
まさに旅を棲家として50年の生涯を終えたのだ。
そう、50年。以外なことに芭蕉は1644年生まれで1694年に没している。
芭蕉翁などと呼ばれていたので相当な老人かと思うが実は若くして亡くなっているのだ。

したがって俳句は決して老人のための文芸ではない。

奇しくも今日は俳句甲子園の決戦が松山で開かれる。
私が審査員を依頼された名古屋地区大会代表の幸田高校の生徒さんたちも頑張っているに違いない。

俳句に年齢はない。
思春期の悩みや人生への迷いなど高校生の時にしか詠めない俳句もあれば、高齢者になって人生への深い思いを句にしたり、齢からくる苦しみを軽みとして俳句に放下することもできる。

人生は今一瞬の積み重ね。そんな一瞬を五七五に込める俳句。
瑣末な趣味だがコツコツと書き続けていけば自ずと自分の生涯と浸透し合ってくる。

芭蕉はその象徴的存在なのだ。

誰もが芭蕉のように「俳句を生きる」ことは不可能だが、彼の生涯に思いを馳せ、自分の在り方を問い直すには良い機会だろう。



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