2009/09/14

月天子

月の美しい季節になりました。
宮澤賢治に「月天子」という作品があります。



月天子
                      宮澤賢治

私はこどものときから
いろいろな雑誌や新聞で
幾つもの月の写真を見た
その表面はでこぼこの火口で覆はれ
またそこに日が射していゐるのもはっきり見た
後そこがたいへんつめたいこと
空気がないことなども習った
また私は三度かそれの蝕を見た
地球の影がそこに映って
滑り去るのをはっきり見た
次にはそれがたぶんは地球をはなれたもので
最後に稲作の気候のことで知り合ひになった
盛岡測候所の私の友だちは
――ミリ径の小さな望遠鏡で
その天体を見せてくれた
亦その軌道や運動が
簡単な公式に従ふことを教へてくれた
しかもおゝ
わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
遂に何等の障りもない
もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに
しかればわたくしが月を月天子と称するとも
これは単なる擬人でない



これは全集の「補遺詩篇Ⅰ」に分類されています。生前に発表した作品ではありませんし、きちんとまとめられたものでもありません。むしろ、どこかに書き散らしたものを後から編集者がほじくり出してきたものです。有名な「雨ニモマケズ」も同様です。こうして人目にさらされることを賢治自身が望んでいたか否かは定かではないのです。

この作品のお面白さ。
それは前半、月が科学的に解明された事実を明記しながら、それでも月天子という宗教的情操にそって敬うことになんら迷いはないという思いを述べていることです。

月天子とはwikipediaによると
月天(がつてん、がってん、Skt:Candra、音写:戦達羅、戦捺羅、旃陀羅など)は、仏教における天部の一人で、十二天の一人。元はバラモン教の神であったが、後に仏教に取り入れられた。正しくは月天子で、月天はその略称。月宮天子、名明天子、宝吉祥との異名もある。やその光明を神格化した神で、勢至菩薩の変化身ともされる。四大王天に属し、月輪を主領して四天下を照らし、また多くの天女を侍(はべ)らし、五欲の楽を尽くし、その寿命は500歳といわれる。形象は、一定しないが3羽から7羽のガチョウの背に乗り、持物は蓮華や半月幢を持つものがあり、として月天后を伴うものがある。両界曼荼羅や十二天の一人として描かれることがほとんどであり、単独で祀られることはほとんどないようである。」
とうことで、勢至菩薩のことをさすようです。

月の光の神秘さは古代から信仰の対象となっています。月光菩薩もそうです。
こうした神秘に対する畏敬の念と、科学による真実との間になんら矛盾はないというのは、賢治が「宗教と科学と芸術」の同一を目指そうとした生き方そのものに現れています。

わたしのように身体に関わって生きている者にとっては、ましてや東洋医療という非科学的、非正統的医療に携わっている者としては

もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに


というところ。まことにわが意を得たりと感服する次第です。

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