2021/01/30

昨日午後からの雪が少し積もった。
車や木の上だけで、道には無し。北海道の俳句仲間牛後さんにこれを積雪と言ったら一笑される。






2021/01/29

東山の里 2


詩情溢れる小道。詩人なら詩を口ずさみながら散策することでしょう。



柊。



羊歯。



切株にサルノコシカケがびっしり。



こちらも同様。少し不気味です。



コサギでしょうか。



笹の群生。



よく見ると雪が舞っています。
天候が急変しました。



光りが当たると花のように見える木の実。
栴檀の木です。



根元にはこのような栴檀の実がたくさん転がっています。

東山の里 1

東山の里山散策に出ました。
空気はピンと冷えていましたが、青空が拡がる心地よい日です。



広々とした裾野です。



臘梅が美しく咲いていました。



紅梅。



白梅。



竹林は鮮やかな緑。



寒晴れ。



落葉の道が続きます。



パンパスグラス。
ここにも臘梅が。



此の黒いのは実でしょうか?
虫癭かと思って潰したら種のような物がありました。
果実のようです。



芒の親分のようなパンパスグラス。

2021/01/23

安里琉太さんが俳人協会新人賞

 安里琉太さんが俳人協会新人賞の栄誉に輝きました。

以前、所属結社「藍生」に彼の句集『式日』について書かせて頂いたのでここに掲載します。

連載俳句と“からだ” 167
愛知 三島広志

句集『式日』安里琉太を読む

『式日』(左右社)は沖縄の新鋭、俳句甲子園全国大会出場経験もある安里琉太(1994年生)の第一句集である。緻密で静謐ながらも栞や章立てなどかなり挑戦的な構成で、句歴十年の若い才能の仄きを充分に知らしめる。

表紙にある「到来し、/触発する/言葉。//書くことは、/書けなさから始まっていると、/今、強く思う。」は安里の書くことへの認識の深さを示して共感できる。書く対象と書かれる対象を彼方から到来した言葉が一句に結実する。

読み進めていくと「瓶」や「枯・涸」といった謎のキーワードに引っ掛かる。否、引っ掛けられて立ち止まる。

 並べたる瓶に南風の鳴り通し
 空瓶は蜥蜴を入れてより鳴らず
 初雪が全ての瓶に映りこむ
 コスモスの中の蛇口が枯れてゐる
 式日や実柘榴に日の枯れてをる
 涸るる沼見てをれば背を思ひだす

どの句も写実の顔を見せているようだが実は一筋縄では読めない。句がメタファーとして立っているからだ。瓶、南風、蜥蜴、初雪、コスモス、蛇口、式日、実柘榴、沼、背、涸れ。これらの言葉が重層な意味を含みつつ胸を抉ってくる。言葉達が共闘してこちらに訴えてくる。

 集中、先人へのオマージュも多く見られた。そこまでやるかとにやりとさせられる。

 あをぞらのさみしさにふる種袋
 しづけさに五月のペンは鳥を書く
 ひかり野に蝶が余つてゐるといふ
 饑ゑつくす蛇の眠りはみづのやう
 たそがれの雲間の凧をふと見たり

それぞれ原石鼎、寺山修司、折笠美秋、赤尾兜子、高浜虚子が顔を出す。ここにも作者の強かさを垣間見ることが可能だ。俳句の歴史を負うという決意の現れか。いずれも模倣や剽窃ではなく、本歌取りでもなく、先人の精神をなぞろうとしているようだ。伝統とはまさに先人の誠に迫り、かつ後輩へ繋ぐ努力をすることだ。安里の句は先人の句をなぞりつつその深奥に触れ、己の句として再構築していると思える。

岸本尚毅の文体に似た句を幾つか掲載しているが、これらもその一環であり先人への畏敬と挑戦と思われる。

 ひいふつとゆふまぐれくる氷かな
 なつかしき雨を見てをる麦茶かな

著名な岸本の「手をつけて海のつめたき桜かな」を彷彿とさせる。中七から下五への流れが繋がりつつ寸断されているのだ。次の句の叙情は作者の飛躍を期待させる。

 摘草やいづれも濡れて陸の貝
 永き日の椅子ありあまる

2021/01/02

春風献上

 

春風献上

 

 昨年『天職』という句集を上梓しました。

 

漢方医療の基本理念は「天人合一」です。夏目漱石の好んだ「則天去私」もこれに近いものでしょう。

 

諸説ありますが、古代中国の思想の根本は天の存在です。天は動物としてのヒトに生(いのち)を与え、歴史的、社会的存在としての人間に命(天命)を授けます。それに即して生きなさい(則天去私)というのが天の思想です。天職とは天から与えられた職に他なりません。天命に直接関わる仕事が天職となります。

 

しかし皮肉なことに天から降ってきたコロナウイルスの影響によって高齢者施設への出入りが不可能となり、天職と思っていた仕事が半年間、ほぼ出来ませんでした。今後も先行きは不明です。

 

それでも新しい太陽は昇ります。諦めずに前進していきましょう。今年が皆様にとって佳き年でありますように。

元旦

【正月の一句】

元日の空青々と淋しけれ 原石鼎

 

 意味明瞭の一句。感覚的にも共感できます。原石鼎(18861951)は大正時代の代表的な俳人。「淋しさに又銅鑼打つや鹿火屋守」という代表句に因んで「鹿火屋」俳句会を主宰しました。私は大学一回生の時、入会して俳句を本格的に開始しました。その時の主宰は石鼎亡き後の会を守った奥様のコウ子先生でした。




 




今年も大晦日の雑務を終えて年が変わる直前オフィスを出発、日泰寺まで散歩しました。さすがに今年は道中も境内も驚くほど人がいませんでしたが、お参りはしないで門前から写真を写して帰りました。

 

日泰寺は日本とタイの友好の象徴的な寺院です。山門には仁王さんではなくタイの僧侶が立っています。管理も数年単位で各仏教宗派が行うようです。

 

コロナウイルスへの対応は人類が試されているのではないかと思われます。医学を中心とした自然科学的対応と、人文科学的な適応、即ち政治的、経済的、社会的行動のみならず孤独と向き合う個々人の生活が今後も継続することでしょう。

 

それでも人類は過去幾度も遭遇した感染症に敗北することなく今日まで生存してきました。寒い冬、感染を上手に賢く恐れつつ時を待ちましょう。

 

本年が佳き年でありますよう祈念いたします。

 

株式会社オフィス三島

三島鍼灸指圧治療室

三島広志

 

 

笹鳴き

 誰もいない山神社。

鶯が笹鳴きをしていました。

春にはホーホケキョと上手になります。

https://youtu.be/VpzWPqa2hHY


https://www.facebook.com/759379189/videos/10158910006904190/

新しい本


整形外科医の精鋭藤井先生が整形外科を専門にしない医師のために書かれた分かり易い本。
まえがきに「整形外科で働く看護師や理学療法士の方も大歓迎」とありますが、開業鍼灸マッサージ師にとっても必携のレファレンスブックになると確信します。



こちらは藤沼先生の「総合診療」。特集が「コロナウイルス・パンデミック」ですので購入しました。

年始

二日は三喜神社。
これは個人所有の神社で、私が世話になっている税理士先生が宮司さんです。

以前、ここの本殿をお借りして健康体操教室を行っていました。
能舞台と同じ広さを持つ立派な神社です。















そこから足を伸ばして再び日泰寺へ。
朝のナゴヤドーム。







今朝も誰もいない山神社。
ここのコンパクトな清明感が好きです。

大晦日 その2







日泰寺は日本とタイの友好の象徴です。
山門には仁王様ではなくタイの僧侶が立っておられます。



帰りに通った山神社。もう誰もいません。



西を望んだ写真。栄方向です。

大晦日 その1

大晦日、仕事の後は恒例の日泰寺への散歩。
今年は驚くほど人と会いませんでした。

途中の山神社はさすがに甘酒の振る舞いがあるので人が集まっていましたからスルー。
日泰寺は鐘撞きに人が並んでいましたが、例年とは比較にならない数。閑散としていました。

私は基本的にお参りはしないタイプなので、門前辺りで写真を写して帰路につきました。信心深い方からは叱られてしまいますが、日泰寺はあくまでランドマークなのです。


月が奇麗。旧暦なら大晦日は月はありません。



仲田公園。






以前お世話になっていたポルケピックという床屋さん。はりねずみという意味です。
いつも見事な季節のレイアウト。


夜のナゴヤドーム。バンテリンドームになるようです。









日泰寺山門とそこから観る塔。
以下、続きます。