2018/01/10

寒中見舞



   寒中お見舞い申し上げます
旧年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2018/01/10

株式会社オフィス三島
三島鍼灸指圧治療室
三島広志

写真のワンちゃんは仕事でお世話になっております
ナーシングホームの看護師さんの愛犬コロ助君






年末年始はゆったり過ごしました。

大晦日はオフィス三島で遅くまでの仕事を終えた後、近所のうどん居酒屋ののみものがかりA君と待ち合わせて上の写真の五重塔のある覚王山日泰寺へ初詣。そのまま脚を延ばして東山公園近くの蕎麦屋さんで年越し蕎麦。蕎麦前で喉を湿らせ、最後はお決まりの蕎麦で締めました。
午後からは世話になっている会計事務所が運営している神社へ初詣。昨年の破魔矢を返してきました。

二日は母と墓参。午後は俳句結社から急遽依頼された原稿を仕上げ、三日は書類仕事と眼鏡屋で眼鏡の新調。老眼がゆっくり進んでいます。

四日からは通常の生活に戻りました。
今年一年がよい年でありますように。


一月の俳句

一月の川一月の谷の中       飯田龍太

飯田龍太の名吟。龍太はWikipediaによれば「飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)710 - 2007年(平成19年)225日)は、山梨県出身の俳人。飯田蛇笏の四男で、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した」。

掲句は龍太の代表句だが発表当時賛否両論をもって迎えられた。しかし、今日では名句として人口に膾炙している。句は全ての贅肉をそぎ落とし骨格だけを提出しているようだ。寒さ厳しい一月の枯れた谷の中を一条の川が研ぎ澄まされた光を放って流れている。

同じように寒さの中の故郷を詠んだ句に

大寒の一戸もかくれなき故郷

がある。また龍太の父飯田蛇笏にも酷寒を詠んだ名吟がある。

極寒のちりもとどめず巌ふすま   飯田蛇笏

蛇笏には四人の子供がいたが戦争や病気で相次いで失い、四男の龍太が三百年続く飯田家の家督を継ぎ、蛇笏の俳句結社「雲母」も継承した。しかし九百号で自ら廃刊し俳壇から身を引いた。この英断は安易に親から子へ俳句誌を譲る傾向に対する警鐘として俳壇を揺るがした。

一月や波除(なみよけ)こゆるなみしぶき    久保田万太郎

一月の空に静止の観覧車            本宮哲郎