鍼灸、指圧、身体論、俳句、日常雑感などを適宜書いています。https://sites.google.com/view/office-mishima/home note https://note.com/mishimahiroshi
2023/11/15
恩師増永静人の言葉
2021/02/28
Zoomセミナーのダブルブッキング
今日は産業医科大学の整形外科医師内田宗志先生の股関節セミナーと東大附属病院リハビリテーション部鍼灸部主任の粕谷大智先生のセミナーが被ってしまいました。
どちらもZoomセミナーです。
二代のパソコンを付け、同時に受講するという暴挙にでました。幸い、産業医科大学は後日ビデオを観ることが出来るというので粕谷先生に集中できました。
内田先生の講義は二度目ですが、股関節の鑑別に4つのレイヤーを用いるというお話しは画期的でとても腑に落ちるものでした。レイヤーの3と4は鍼灸師でも対応可能の予感がします。実際整形外科医師はハイドロリリースで対応しますから、鍼灸師はアキュパンクチャーで対応可能です。
粕谷先生のお話はいつものことですが整理された資料と分かり易い説明で鍼の学習になると同時に鍼治療の現実的可能性が見えて誠に勇気づけられるものです。昨夜のんNHKの番組にも登場されていました(私は未見です)。
内田先生の講義もまだ続きますし、来月は粕谷先生による糖尿病による足趾の問題へのアプローチの講義があります。
コロナ禍で仕事はほとんど無いのですが、学習意欲だけは維持していきたいと思っています。
2021/01/02
2020/10/24
2020/08/01
「まるごとひとつ・野口三千三・増永静人」
游氣風信 No52「まるごとひとつ・野口三千三・増永静人」
三島治療室便り'92,12,1
およそ30年前に書いた文章です。
改めて読み返してみました。
少し直してあります。
三島広志
E-mail h-mishima@nifty.com
https://sites.google.com/site/ofisumishima/
《游々雑感》
まるごとひとつ
「今日は肩がひどく凝っているの。だから肩だけしっかりやってちょうだい」
身体調整に来られてこのように言われる方があります。 そんな時は次のように答えます。「それじゃあ、とりあえず肩だけ取りはずして置いて帰ってください。明日までに治しておきましょう」
これではまるで一休さんのとんち話みたいですね。調整に来られた方はきょとんとしてしまいます。もちろん言うまでもなく身体調整と機械の修理とは違うのですから肩だけ分離して置いて帰ることは不可能です。機械は部品の集合体、それに対して身体は全体が有機的につながっているのですから。(以上は操体法創始者橋本敬三先生の逸話)
いつからか、わたしたちは身体を手や足や胴体、肩や胃や骨盤などの部品の寄せ集めのように考えるようになってしまいました。けれども実際には一体どこからが肩でどこからが首でどこからが背中なのでしょうか。
解剖学ではしっかり分類してあります。カルテをつけたり手術するとき客観的に誰もが場所を間違えないために約束事として取り決めてあるのです。しかし、実際にわたしたちが身体から受ける感覚はそんなに厳密なものではありません。漠然と首の辺りが凝るとか、肩から腕の付け根にかけてしびれるとかという感じです。
腰が痛いと言う人の腰に手を当てて「この辺ですか。」と聞きますと「そう、そこそこ」と返事があります。もっと場所を限定しようともう一度触り直しますとこんどは全然違うところで「そう、そこです」と答えます。こちらは「あれっ」と思ってもう一度最初の所を押して「ここでしたね」と質問すると「いえ。もっと上です」「じゃあ、ここ?」「違う違うもっと左」。だんだんいらいらしてくるのが手に伝わってきます。「なんだこいつは。痛いところくらいさっさと見つけんかい」。そんな気配がひしひしと伝わって来るのでこちらもあせって「するとここですね」などとあてずっぽうに言ったりしてますます感情を害されてしまいます。「感情」を害されると「勘定」が貰いにくくなるのが商売の常ですからこうなっては大変です。
つまりかかる具合に身体の感覚とは当てにならないので、冒頭のように肩だけやってくれという指示は根本的に正しくないのです。感覚だけでなく、身体は全体が一つの目的すなわち生命の維持発展や運動のために協力しあっています。別の言い方をすると肩が凝るのは身体のほかの部分に理由がある、肩凝りはその結果ということが多いです。凝りは明確に意識できますが、その他の問題は意識上に上がってこないのです。
医療の現場では肩凝りに対してさまざまな捕らえ方をします。多角的に原因の確定を試みると言ってもいいでしょう。
「筋肉疲労による乳酸の蓄積」
「頚椎椎間関節の問題」
「筋肉か関節での神経の圧迫」
「筋肉リウマチ」
「骨粗鬆症」
「何らかの炎症」
「神経自体の損傷」
「コンピューターに向かい続ける姿勢からくる慢性疲労」
「胃やすい臓などの内臓からの関連痛」
「目からの関連痛」
「がんの骨転移」
などなど。こうした医学的鑑別は状況に応じて治療法を決定するためにとても重要です。
しかし、私達施術者はそこに止まらずにもう一歩考えを深めたいのです。それは医療を離れて、どうして自分の肩が凝るのだろう、何がいけないのだろうと自分をとりまく現状の認識をすること、および今をより良い将来への礎とするための積極的な捕らえ方です。そうしないとせっかく肩凝りのために莫大なエネルギーを費やした我が生命力に申し訳がないというものです。(肩凝り自体のためにかなりの栄養やエネルギーが浪費されています。さらには苦痛、不快感も。これは周囲の人をも不快にしますのはどなたも体験済み。)
前置きが長くなりました。今月のテーマはまるごとひとつでした。
わたしたちの身体から冒頭に書いたように肩だけ取り出せません。これは言い換えると私達の身体は分解できないもの、全体でまるまるひとつということです。
手を高く上げてみてください。その時の手を支えているのは肩であり背中でしょう。さらにお尻や足が身体と床の間にあって身体全体を支持しています。でもわたしたちの関心は手にあって他の部分にはいきません(痛みがあれば別です)。手を意識している限り、凝りに対しては最も自覚的な肩にさえ関心は向かないのです。凝りとは身体が悲鳴を上げるとき肩の存在を訴える方法なのです。
「右手をよく使う仕事をしているのになぜ左の肩が凝るのでしょう」
とはよくされる質問です。それに対する解答はすでに「左・右」の漢字の中にあるのです。 小学生に戻って漢字の復習をしましょう。「右」という字を分解すると「ナ」と「口」です。「ナ」は手の象形、「口」は口の象形です。すなわち右手とは食べ物を口に運ぶ手という意味です。「右」は一字で右手のことを示しているのです。
では「左」はどうでしょう。これは「ナ」と「工」から成立しています。「ナ」は右と同じく手。「工」はものさしのような工具の象形です。これも「左」一字で左手の意味があります。「左」とはものさしをきっちり固定している手のことなんです。
ここから類推すれば右手は動的な働きを表し、左手は右手を補佐する静的な働きを表現していることになります。よって右手を使うときは目立たないが左手も固定という緊張を強いられていると考えられます。これが前述の質問の答えです。手の問題をさらに拡大解釈していけば身体全体が支え合い助け合って働いているといっていいでしょう。両手を使っているとき胴体が両手を支えています。そのとき手には関心が向かいますが胴体のことは忘れているでしょう。 一生懸命手作業をしていて腰が痛くなるのはこうしたことの反映です。本を読むとき、目は意識しますが本を持っている手には無関心です。万事がこんな調子なのです。
明らかな症状(結果)には必ず原因があるのです。肩凝りはそうした身心の状態の犠牲者、あわれな生贄(いけにえ)というわけです。けっして目の敵にする対象ではないことがお解りいただけるでしょう。ですから冒頭の「肩だけ揉みほぐせ」 という感覚には身体に対する一種の傲慢(ごうまん)さを感じるのです。その根本に身体は精神に隷属(れいぞく)しているというおごった考えがあるのです。それが時として他人にも向けられますから争いが絶えません。今はやりの太極拳や気功法、ヨガなどはそうした身体観を是正する体操という側面も 持っています。
こうしてみると肩凝りに対する意識のしかたが、身体の問題だけでなく会社や家庭の人間関係、さらには経済や教育など幅広い分野にわたる根幹の問題意識ということが理解されますね。東洋の医療は基本的にこの考えに立っていますから肩凝りひとつとっても全身の処置をするわけです。
現代医学は肉体と精神をとりあえずはっきり分けて、特に肉体の方を微にいり細にいって研究した結果すばらしい成果を上げ、わたしたちは膨大な恩恵を受けています。その成果は医療だけでなく保健衛生や介護、スポーツ科学にも及んでいます。さらに経済発展による食生活の充実、高度な教育などとあいまって長寿社会を築き上げました。
現代医学の細菌駆除による伝染病駆逐という成果や素晴らしい手術、それらを支えている精密な検査や組織的な看護の発達は素晴らしいものです。しかし反面、あまりに専門化し過ぎて全体を統一する見方や心と体の相関に関してはいま一歩軽視されてきました。分化し過ぎ、専門化し過ぎの欠陥が全体を見えにくくしてしまったのです。細分化は研究においてとても重要なことですが一般の臨床にはいろいろと不都合があるのです。そこから生まれるのが肩なら肩だけという患部中心の見方です。あるいはそのように定められた医療制度です。その反省から今日では心療内科や神経科などでその間隙を埋める方向にきています。 これが今日、未解明ながらも生命の全体性と心身相関を重視してきた漢方に代表される伝統医療に関心が集まってきている理由でしょう。
だからと言ってひたすら漢方がいい、古い伝統が正しいと考える狭量な視野は危険です。医療と衛生と栄養の整備という社会的な下部構造の充実があって初めて伝統の知恵が上部構造として生かせる時代が来たということを忘れてはいけません。
そもそも私たちの身体は膨大な数の細胞(37兆とされています)から成り立っています。それは37兆個の細胞の寄せ集めではなく、一個の受精卵が37兆に分裂したものなのです。けっして寄せ集めたものではないのです。そしてそれらの細胞は脳によって統御されて全体として統一した行動ができるようになっているのです。その脳も他の器官によって育まれている点では同じ身体の一員なのです。ちょうど夫婦が一対で夫婦であって一対一ではないように身体も全体で一つの生命体であって、各器官がばらばらで自己主張しあっているのではないのです。こういう状態をまるごと全体と呼ぶのです。
さて、あなたがもし肩凝りやぎっくり腰などちょっとした身体の訴えを得る機会があれば以上のようなことを考えてはいかがでしょうか。次の人々のことばは身体および身体と環境とのかかわりにおいて大きなヒントになることでしょう。私達の身体は環境があって存在することが可能です。環境とは歴史によって育まれてきたこの星の自然と人間社会です。
野口三千三(野口体操創始者 元東京芸術大学教授)
「生きている人間のからだは、皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ」
「地球上のすべての存在は、今、地球の中心との関係にによって、確実に結ばれている」
「自分自身のまるごと全体のからだが“重さという生きもの”になり得る能力いう」
「野口体操からだに貞(き)く」柏樹社刊より
増永静人(経絡指圧提唱者)
「自分の生命を大切にすること、そのことが相手の生命を尊重し、自分のまわりの生命をすべて大切に扱うことに連なっていくという実感を味わってほしいのです。これはいくら言葉で知って頭で理解していても、“もの”を中心にする生活をしている間に、バラバラに離れた存在になって、自分しか見えない幻想のとりこになってしまいます。今までの健康法は、そうした個人だけの長生きだけを目的としたため誤ってきたのです。」
「スジとツボの健康法」潮文社刊より
2020/07/25
『慢性病のサイエンス』 脳からみた痛みの機序と治療戦略 半場道子著
2020/07/10
游氣風信 No63 忘れ得ぬ患者「三百万円の納得」
最近若い在宅鍼灸師さん達とお話しする機会があります。
ふと、昔書いたものを思い出したのでアーカイブスから引き出して掲載します。
游氣風信 No63 忘れ得ぬ患者「三百万円の納得」
游氣風信 No63 忘れ得ぬ患者「三百万円の納得」三島治療室便り'95,3,1
三島広志
E-mail h-mishima@nifty.com
https://sites.google.com/site/ofisumishima/
《游々雑感》
忘れられない患者さん
二十五歳から治療の仕事を始めて今年で十六年目に入ります。
そのうちには忘れられない患者さんが何人もおられました。そういう方たちの魅力
は様々です。ある人はその闘病精神に感服させられました。また別の方の生きて来し
方の素晴らしさに静かな感動を覚えたこともありました。病に倒れた現在の生きよう
がご家族を含めて実に魅力な印象の人も多くいます。いずれの方々も治療するわたし
の方に素晴らしい喜びをを残してくださったのです。
中でもN氏はとりわけ強く印象に残る方でした。この方に関しては以前にある機関
紙に書いたことがあります。その原稿をもとに改めて書き直しました。
[三百万円の納得]
N氏は十年ほど前に八十歳で亡くなりました。
最後の三年間は脳卒中の後遺症でほとんど寝たきり状態でしたが、明治生まれの頑
固さで毎日仏間の椅子に腰掛けて、自分は「寝たきり老人」ではないと得心していま
した。
私はN氏が退院して半年目からリハビリに往診し、約二年半のお付き合いをしまし
た。大変明晰な頭脳の持ち主で、時事に関してはテレビ報道を欠かさず見て、絶えず
社会の動きに注意しておられた。とりわけ好きだったのが国会中継。時の総理大臣中
曽根氏のファンのようでした。
私がリハビリに訪問した初期の頃は、N氏の目的はひたすら歩行能力を回復するこ
とにありました。症状安定と病室不足のため、病院から歩行できないままに退院とな
りましたので、氏は病院から見捨てられたとひどく怒っていました。そこで私は氏の
病院に対する恨みのエネルギーを逆利用して訓練を行うことにしたのです。
その結果は大成功。N氏の努力と人並み以上の体力の賜物でしょう、一月経った頃
には一本杖で室内の歩行ができるほどになったのです。
N氏はまだまだ良くなり、何としても自転車に乗れるようになるまで頑張るつもり
でした。しかしどうも私には、それまでの進歩の状況や現在の残っている手足の運動
能力から室内歩行が限界のように思えました。
リハビリの困難な点は、身体調整(訓練や治療)の結果、必ずしも以前の健康で障
害のない時の状態には回復しないと思われる人に対しても、希望を与えつつ身体調整
を行なわなければならないことです。
さらに、身体調整の成果が本人にとって、もはや限界と考えられる時点で、以前に
比べれば不満であろうけれども、現在の状態がその人の今から将来への最高の状態な
んですよと、諦めと希望の両方を持って本人や家族に受け入れてもらうように心掛け
なければならないこと、これも大変難しくつらいことなのです。
患者は元のように上手に歩けるようになると信じています。なりたいと強く願って
いるのです。わたしの方としてもそれに極力応えたいのですが、しかし、多くの場合、
現実にはもう回復はこれ以上は無理と思われるときが必ずやってきます。その時、い
たずらに甘い期待を抱かせるのはリハビリの本意ではありません。といって、絶望感
を持つことは本人にとって耐え難く苦しいことであろうし、看病している家族の失望
も計り知れません。
どうやってN氏と対応すれば良いかさんざん迷った揚げ句、私は努めて体や病気の
話を避け、N氏の生い立ち、戦争体験、戦後の苦労話や商売のコツなどの聞き役に徹
しました。
N氏の家はI市にあります。そこは戦争中、名古屋の人々が荷物の疎開をする程の
田舎でしたが、皮肉なことに空襲によって爆弾の直撃を受け全焼してしまいました。
当時N氏は出征中で、家には奥さんと三人の幼い子供がいました。しかしその時の
爆撃で上の子二人が爆死し、奥さんと背負っていた子だけが助かりました。その子が
今の跡取り息子さんです。
奥さんは、
「自分たちが何不自由なく暮らしていけるのは、死んだ子どもたちがあの世から見守っ
てくれているお陰だと思っているけど、当時の悲しさはとても言葉には言い表せない。
アメリカを恨み、東条英機を憾み、気も狂わんばかりだった。」
と言われます。
爆撃されたとき、お母さんと子どもたちはそれぞれ家の表と裏に逃げ出しました。
そのままなら助かったのに、子どもたちは再びお母さんを追って家の中に飛び込んだ
ために爆弾の衝撃と炎で亡くなったそうです。
お母さんは自分が子どもたちの手を引いて外に飛び出していたら死なせずに済んだ
と今でも強く後悔しているのです。こういう人にとって戦争は一体何時になったら終
わるのでしょうか。
四十歳過ぎての復員後、N氏は家が焼け、二人の愛児が爆死したことを知り、呆然
自失の日々を送りました。しかし持ち前の気丈さで家の復興に立ち上がったのでした。
廃材を入手して大工に家を建ててもらい、中古の仏壇を購入し、毎日、自転車で箒
や箕(み)の行商に出て、田畑を買い、米や野菜を作りながら必死で働いたそうです。
七十七歳で脳卒中になるまでひたすら行商の毎日で、リヤカー付きの自転車で朝早
くから夜遅くまで1日百キロ近く走り回ったと懐かしそうに語ってくれました。
七十五歳で逆上がりができたというのが自慢の、人一倍丈夫な体の持ち主でした。
ところが頑健と過信していた体が脳卒中で突然動かなくなったのです。雪の早朝、上
半身裸で鍬をふるっていた位元気だったそうですが無理を重ね過ぎたのでしょう。
N氏は倒れた時のショックは子供を失ったショックと等しい位であったと述懐され
ました。
N氏が自転車に再び乗る日を夢見るのは、自転車こそまさにN氏のN氏たる証明だ
からなのでしょう。
しかし日々回復に努めるにも関わらず、歩行能力が向上するどころか次第に低下し
始めました。本人はその事実を必死で否定し、
「今日は体調が悪いからだ。」
「今日は雨模様の気候のせいだ。」
と毎日歩けない理由を探して口にしていましたが、とうとう自分ながらに真実を認め
ざるを得ないところまできてしまいました。
以前なら横に奥さんを従えて軽く一人で歩いて来れた寝室から居間までのおよそ十
メートル。今では息子さんにしっかり抱えてもらってやっと歩いて来るという状態に
なってしまったのです。
その頃からN氏は極めて無口になりました。日がな、絶えず何かを考えているよう
でした。いくら否定しても、歩く力が衰えた現実は否定できないことに気がついたの
でしょうか。あるいはほかのことを考えたり、思い出にふけっていたのでしょうか。
ある日、
「先生よ、わしはお経に書いてあるようになも、往生安楽国に暮らしたいわや。」
とポツリと言われたことがありました。
私は答えに窮して、
「安楽国に住むにはその前に書いてある菩提心が必要なんだよ。」
とお経の本を見せてもらい、ほほ笑みでごまかしながら答えたりもしたのです。
すっかり寡黙になられたN氏を見て、私は父がガンで亡くなる前の数週間を思い出
しました。
父は、痛み止めの注射のために四六時中意識が朦朧としていたようでした。しかし、
時々頭がはっきりするするらしく、当時二十歳の私に向かって、子供の頃の他愛ない
罪を懴悔することがあったのです。
「友達と蟹を路面電車の線路の上に置いてひき殺して遊んだことがあったが、今思
うと可哀想なことをしたもんだ。」
などという具合に。
その経験から、もしかしたら人は死ぬ前に人生を清算する期間が与えられているの
かも知れないなと感じたのでした。父は死を目前にして、自分の人生の肯定作業に取
り掛かっていたのではないでしょうか。死んで行くにあたって心残りないように心の
整理をしているように見えたのです。
そう考えると闘病期間が与えられた病気はとてもありがたい病気です。昨今、闘病
記を読む機会が増えましたが、どの著者も皆そのようなことを書かれていますから、
あながち間違いではないのかも知れません。あるいはそう考えないとやり切れないの
かも知れませんが。
N氏もまさに人生肯定に取り組み始めたのでしょう。
ある時奥さんに対して
「われ(お前)はわしみたいな男と一緒になって損な人生だったなも。」
と問いかけたそうです。
奥さんは
「いいえ。何を言やぁす。おじいさんと一緒に生活ができて、とても良い人生を送
らせてもらったがなも。」
と答えたと言われました。
その返事を聞いたN氏はめったに見せない割れるような笑顔を見せたと、N氏の死
後、奥さんが話してくださいました。なにしろN氏はいつも苦虫を噛み締めていたの
です。
再入院される半年程前、N氏は孫ほどの年齢の私に向かって
「先生、わしはなも、もうこの人生に思い残すことはないんじゃ。ただ一つ気になる
ことはなも、氏神様の井戸の屋根が伊勢湾台風で壊れたままじゃろ。あれをわしの手
で建て直したいんじゃ。」
と話されました。
N氏は息子さんや奥さんと相談して神社に建立費用を寄付することを快諾させ、宮
大工に見積させると約三百万円かかるというので、N氏が全額寄付して、井戸の屋根
の建築が始まりました。
それから半月程して再入院されることになりました。今度は手足の機能だけでなく
言葉さえも失ないましたが、一生苦虫を噛み続けていた顔が、再入院してからはニコ
ニコ笑い、奥さんの話かけにも愛想良く頷(うなず)いていたそうです。問いかけに
対する判断力はしっかりしていて決して惚けてはいなかったのです。
入院して一カ月ほどしてN氏は亡くなられました。
N氏は井戸の屋根を作るという行為に自分の人生を代表させ、それを実現させるこ
とで人生を納得されたのでしょう。私はN氏によって人生を肯定できた人の本当の穏
やかな表情を見せていただくことができました。
屋根が完成する前に亡くなられたことを惜しむ人もいましたが、N氏にとって大切
だったのは、井戸の屋根を自分の手で建設の方向へ持っていったという事実であって、
その後のことはさほど重要なことではなかったに違いありません。
それから数年して懸命に看病に励まれた奥さんも亡くなられました。
2020/05/20
2020/04/29
2020/04/28
2020/04/05
2020/03/29
三密を避けよう
2020/03/10
施術所のコロナ感染対策
2019/07/27
2019/03/18
病鍼連携連絡協議会
ちょっとした肩こりや腰のだるさで治療室を訪れる方の中には危険な病気をお持ちの方もおられます。
そうした可能性を考慮しながら施術する街角の医療の窓口を目指す施術所の集まりが病鍼連携連絡協議会です。
私たちはクライアントの症状に対して幅広い知見から施術に当たると同時に、見過ごしがちな軽い症状の奥に放置していたら危険な病気を持つと疑われるクライアントに接したら迷わず専門医に正しい情報と共に紹介できる施術所であろうとしています。
また医療機関から信頼を得て、クライアントを紹介されたとき正しく対応できるように実力を付けようと精進しています。
未だ端緒に達したばかりですが以下に仲間の地図があります。
https://www.google.com/maps/d/
2019/02/24
腰部脊柱管狭窄症について
2018/11/15
2018/08/01
病鍼連携の講習会
しかも東京大学で。
鍼灸マッサージ指圧、こうした施術がきちんと地に足をつけて社会の中でそれなりのポジションで生きていくためには立つだけの根拠を持たなければなりません。
またそれを一般社会で通用する言語で説明できないと相手にされません。
中国から日本に社会福祉の勉強に来ている学生さんが、鍼は効果が認められていないから信用できません。中国では若い人は鍼を古い時代のものとして排除していますと言っていました。
日本でも同様でしょう。
鍼灸治療を受ける方は比率は大変低いです。
今後、このままでは鍼は衰退します。
そこでこのような地道な努力が必要となるのです。
しっかり勉強したいと思います。
一般価格7000円が5000円に変更されています。
2018/07/24
熱波列島
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20180723/0015240.html
https://www.theguardian.com/world/2018/jul/23/japan-heatwave-prompts-concern-over-conditions-for-2020-olympics?CMP=share_btn_fb
http://time.com/5345553/japan-heat-wave-record-temperatures/?xid=time-amp-fbshare
2014/11/11
名古屋市高年大学鯱城学園
東洋医療と介護予防を混在させて進める予定。
http://kojogakuen.com/
漢方の理念に「未病を治す」という考えがある。介護予防はまさにそれだろう。両者をうまく結びつけ、面白くまとめたい。
高年大学である以上、大学としての価値も維持したい。毎回、講義の冒頭に「高校までは学習であり大学は学問をする場だ。個別の学問を通じて学とは何か、人間とは何かを問う場が大学だ。ここも大学と名乗っている以上、今日の講義は内容は分かりやすけど志は高いですよ」と話をして気持ちを引き締めて頂いている。そして講義は爆笑を誘うように心がけている。
高年大学での講義も今年で14年目位になる。この講座は名古屋市が福祉協議会に委ねて行っている高齢者事業の一つだ。名古屋在住の60歳以上で通学可能の方なら誰でも受講できるが、大変な人気で申し込んでもなかなか当たらないという。以前聞いた時は約7倍という狭き門だった。今年は講座数を増やし受講しやすくしているはずだ。
それはともかく、長年教壇に立っているうちに、いつの間にか自分自身が受講できる歳になっている(汗)
今年は昨年までの健康科と生活科に加えて福祉科からもオファーがある。したがって健康科A,B、福祉科、生活科A,Bと担当することになる。しかも福祉科からは二回に分けて講義して欲しいと依頼された。したがって全部で6コマということになる。十二月に福祉科、来年二月に生活科2コマ。最初は生活科2クラスだけだったので随分増えたものだ。
白川公園や科学館を見下ろす素晴らしい教室での講義。今から楽しみにしている。


