2013/05/01

五月一日

五月一日。

五月になると朔太郎の詩が思い出されます。

今朝はその詩の内容に相応しい日和でした。


朝、仕事前に時間があったので春岡の丸山神社まで散歩。

今日は市の日だったらしく、境内にはびっしりと店が組まれ、大勢の人で賑わっていました。

私の目的はブラブラとあることで、買い物やお参りではありません。

人混みを横目に神社の外側をぐるっとひと回りしてオフィスに戻りました。






















朔太郎の詩は以下の通り。

旅 上
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに

特に最後の二行の調べは初夏の雰囲気をよく表現しています。

作者は若草の上を実際に歩いた詩も残しています。


五月の貴公子
若草の上を あるいてゐるとき
わたしの靴は 白い足あとを のこしてゆく
ほそい すてつきの 銀が草でみがかれ
まるめてぬいだ手ぶくろが 宙でおどつて居る
ああ すつぱりと いつさいの憂愁を なげだして
わたしは柔和の羊になりたい
しつとりとした 貴女(あなた)のくびに手をかけて
あたらしい あやめおしろいの にほひをかいで居たい
若くさの上をあるいてゐるとき
わたしは五月の貴公子である。


                      萩原朔太郎「純情小曲集」より

鮮やかな若草を踏んで歩いていけば人は一切の憂愁としばらくは決別できるでしょう。

この詩にでてくる「あやめおしろい」の意味が分かりません。何れにしても女性を象徴する香織であることは間違いありません。

私の今日の憂愁は、散歩に出る時に大竹酒店で何か一本買ってこようと思っていたにも関わらず、忘れて手ぶらで戻ってしまったことです。

0 件のコメント: