鍼灸、指圧、身体論、俳句、日常雑感などを適宜書いています。https://sites.google.com/view/office-mishima/home note https://note.com/mishimahiroshi
2012/04/29
2012/04/28
2012/04/23
原石鼎のブログ
学生時代、角川書店から出版された山本健吉著「現代俳句」を読んだ。
その中で一番気に入った俳人が原石鼎だった。
そこでその結社「鹿火屋」に入った。
これが初めての結社体験。
当時は石鼎亡き後を奥さんのコウ子が継承しており、その養子の原裕氏に移行する過渡期だった。
裕氏は名古屋に指導にいらっしゃっていたので数回お目にかかった。
コウ子先生にはついにお会いすることはなかったが、幾度かの手紙のやり取りがあった。
裕氏も早世された。
この辺りのことは以前「藍生」に書いた。
http://h-mishima.cocolog-nifty.com/yukijuku/2011/09/post-1f3f.html
現在、岩淵喜代子という俳人が石鼎を検証するブログを書かれている。
http://blog.goo.ne.jp/basyou1936
これによって私は今も石鼎につながることができている。
ありがたいことだ。
その中で一番気に入った俳人が原石鼎だった。
そこでその結社「鹿火屋」に入った。
これが初めての結社体験。
当時は石鼎亡き後を奥さんのコウ子が継承しており、その養子の原裕氏に移行する過渡期だった。
裕氏は名古屋に指導にいらっしゃっていたので数回お目にかかった。
コウ子先生にはついにお会いすることはなかったが、幾度かの手紙のやり取りがあった。
裕氏も早世された。
この辺りのことは以前「藍生」に書いた。
http://h-mishima.cocolog-nifty.com/yukijuku/2011/09/post-1f3f.html
現在、岩淵喜代子という俳人が石鼎を検証するブログを書かれている。
http://blog.goo.ne.jp/basyou1936
これによって私は今も石鼎につながることができている。
ありがたいことだ。
2012/04/21
介護の周知
お宅のホームページを見た、介護を受けたいという深刻な電話。
身障1級で要介護度4。途方にくれた男性の声。
遠方なのでいきいき支援センターという窓口を紹介したら安堵の声。
まだまだ介護の周知が足りない。
身障1級で要介護度4。途方にくれた男性の声。
遠方なのでいきいき支援センターという窓口を紹介したら安堵の声。
まだまだ介護の周知が足りない。
2012/04/20
あんしんせいかつ葵
仕事でお世話になっている居宅型有料老人ホーム「あんしんせいかつ葵」さんのHPが新しくなりました。
あんしんせいかつ葵
ここは一階に保育園、二階から五階まで(現時点で)が老人ホームになっています。
所長は医師の飛田拓哉先生。
一昨年の十月位にオープンで、私は当初から訪問マッサージに出向いています。
今月からは常勤の理学療法士と言語聴覚士が入社し、リハビリ部門の充実ぶりが目を引きます。
私は従来同様、三島鍼灸指圧治療室として訪問し、マッサージや可動域訓練、場合によっては機能訓練などリハビリの一旦を担うことになります。
そろそろ学生時代の同期が定年云々という年齢になりましたが、治療室での仕事、ケアマネの仕事、そしてあんしんせいかつ葵さんでの仕事となかなか忙しい毎日を送っています。
あんしんせいかつ葵
ここは一階に保育園、二階から五階まで(現時点で)が老人ホームになっています。
所長は医師の飛田拓哉先生。
一昨年の十月位にオープンで、私は当初から訪問マッサージに出向いています。
今月からは常勤の理学療法士と言語聴覚士が入社し、リハビリ部門の充実ぶりが目を引きます。
私は従来同様、三島鍼灸指圧治療室として訪問し、マッサージや可動域訓練、場合によっては機能訓練などリハビリの一旦を担うことになります。
そろそろ学生時代の同期が定年云々という年齢になりましたが、治療室での仕事、ケアマネの仕事、そしてあんしんせいかつ葵さんでの仕事となかなか忙しい毎日を送っています。
2012/04/19
蛇笏・龍太の系譜 「白露」の終刊
「白露」が終刊というニュース。
「白露」は飯田蛇笏、龍太父子による「雲母」終刊を受けて、新たに広瀬直人先生を主宰として起こされた俳句結社誌。
「雲母」は伝統ある結社誌で会員も多かったが主宰の飯田龍太が、俳句は元来禅譲するべきではないという信念を貫いて終刊となった。これは当時(1992年)ともすれば仲良しクラブとなりがちの結社の在り方に一席を投じた。
その翌年、広瀬先生が多くの会員の要望に応える形で創刊したのが「白露」。
広瀬先生は数年前、私がNHK松山制作の「BS俳句王国」に出演した時の主宰であった。それは丁度、七月、海の日の正午からの生放送だった。詳細はブログに書いてある。
その前夜、司会の鈴木さんや広瀬先生、駆けつけた地元の夏井いつきさんたちと午前1時過ぎまでスナックで飲みながら語り、朝も早くからホテルの朝食でご一緒した。
広瀬先生は初対面で無名の私にも実に穏やかに暖かく接して下さった。
放送後の食事会では
「君はよく勉強している。黒田さん(黒田杏子主宰)の『藍生』には夏井いつきとか君とか精鋭が大勢いるなあ」
と持ち上げてくださった。
放送の後、その脚で四国の会員の元へ行くとおっしゃるほどとてもお元気で疲れ知らずの方だった。
したがって「白露」が広瀬先生の病気による終刊と聞いて大変驚いている。82歳だそうだが、その歳の俳人はまだまだ大勢活躍している。広瀬先生にも復活を期待したい。
をりとりてはらりとをもきすゝかな 飯田蛇笏
手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太
秋冷の道いつぱいに蔵の影 広瀬直人
「白露」は飯田蛇笏、龍太父子による「雲母」終刊を受けて、新たに広瀬直人先生を主宰として起こされた俳句結社誌。
「雲母」は伝統ある結社誌で会員も多かったが主宰の飯田龍太が、俳句は元来禅譲するべきではないという信念を貫いて終刊となった。これは当時(1992年)ともすれば仲良しクラブとなりがちの結社の在り方に一席を投じた。
その翌年、広瀬先生が多くの会員の要望に応える形で創刊したのが「白露」。
広瀬先生は数年前、私がNHK松山制作の「BS俳句王国」に出演した時の主宰であった。それは丁度、七月、海の日の正午からの生放送だった。詳細はブログに書いてある。
その前夜、司会の鈴木さんや広瀬先生、駆けつけた地元の夏井いつきさんたちと午前1時過ぎまでスナックで飲みながら語り、朝も早くからホテルの朝食でご一緒した。
広瀬先生は初対面で無名の私にも実に穏やかに暖かく接して下さった。
放送後の食事会では
「君はよく勉強している。黒田さん(黒田杏子主宰)の『藍生』には夏井いつきとか君とか精鋭が大勢いるなあ」
と持ち上げてくださった。
放送の後、その脚で四国の会員の元へ行くとおっしゃるほどとてもお元気で疲れ知らずの方だった。
したがって「白露」が広瀬先生の病気による終刊と聞いて大変驚いている。82歳だそうだが、その歳の俳人はまだまだ大勢活躍している。広瀬先生にも復活を期待したい。
をりとりてはらりとをもきすゝかな 飯田蛇笏
手が見えて父が落葉の山歩く 飯田龍太
秋冷の道いつぱいに蔵の影 広瀬直人
2012/04/18
2012/04/11
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