2013/05/04

今日のBalcony

素晴らしく晴れ渡った一日でした。

オリーブは勢いよく天に伸び、Balconyの植物たち、初夏の装いに輝いています。

今日お越しになったクライアントさんもBalconyを眺めて喜んでいました。
オリーブには花が付き、薔薇も咲きかけです。

葡萄ははっきりと房の形に膨らみ、ラベンダーは生き生きと風にそよいでいます。

小手毬はお役御免。

花びらが散り、蕊が目立って来ました。

もっともこれからが小手毬の生物としての本来の営みが始まるのでしょう。


連休も後半。そろそろ息切れが始まるのではないでしょうか。

けれども、私達のような小商いには連休は関係ありません。

日常の中のほっとする一刻を味わっていけたらいいなと思っています。


2013/05/02

ハナミズキ  一青窈


街のあちこちにアメリカハナミズキの白や赤い花が翻っています。
この木は日本から桜を贈ったお礼にアメリカから届いたものと聞いています。

この木をテーマに一青窈が書いた「ハナミズキ」という詞。
9・11テロへの鎮魂のために作詞したと言われています。
しかしそれを超えて普遍的な鎮魂と未来への祈りの曲となっています。

空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい
水際まで来てほしい
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように

夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて
一緒にわたるには
きっと船が沈んじゃう
どうぞゆきなさい
お先にゆきなさい

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君とすきな人が
百年続きますように



ひらり蝶々を
追いかけて白い帆を揚げて
母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい
待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君と好きな人が
百年続きますように

君と好きな人が
百年続きますように

桐とスケルトン

レセプトなどの事務仕事に飽きたのでちょっとPicasaでお遊び。


左の写真はオフィス隣の空き地に咲いている桐の花。晴れ渡った蒼穹に向かって咲いていますが逆光で色がよく分かりません。

右の写真は枝打ちされていたものが開花したもの。
穏やかな紫が美しい花です。

拙句を一つ。

  いつからを夕空といふ桐の花  広志

真ん中の写真はただ単に戯れて桐と骨模型をコラボしてみました。
全く無意味です。
こちらはバルコニー。風が強く木々が揺れて焦点が合いません。

左からブラシの木、金雀枝(えにしだ)、紫蘭。

ブラシの木は真っ赤なブラシのような花が咲きます。蕾が一杯付いていますから今後が楽しみです。

金雀枝は1つだけ咲いています。
これから順に開いていくことでしょう。本当に金色の小雀のような可憐な花です。
西洋では金雀枝の枝で箒を作ったらしく、魔女が跨って空を飛ぶのはこの箒だそうです。

紫蘭は白と紫。木蓮も紫と白があり、紫は紫木蓮、白い方は白木蓮とか白蓮(白いハスを指すこともある)と呼びますが、紫蘭はどうなのでしょうか。

葉の緑と花の白・紫のコンビネーションは初夏を印象づけてくれます。

ハーブは,乳児ボツリヌス症の原因の一つ: タンボとハタケと

健康にいいという情報には気をつけましょう。

ハーブは,乳児ボツリヌス症の原因の一つ: タンボとハタケと:

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2013/05/01

藍生五月号

今月の「俳句とからだ」は暦について。

どこに俳句とからだについて書いてあるだという突込みは厳禁。


五月一日

五月一日。

五月になると朔太郎の詩が思い出されます。

今朝はその詩の内容に相応しい日和でした。


朝、仕事前に時間があったので春岡の丸山神社まで散歩。

今日は市の日だったらしく、境内にはびっしりと店が組まれ、大勢の人で賑わっていました。

私の目的はブラブラとあることで、買い物やお参りではありません。

人混みを横目に神社の外側をぐるっとひと回りしてオフィスに戻りました。






















朔太郎の詩は以下の通り。

旅 上
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに

特に最後の二行の調べは初夏の雰囲気をよく表現しています。

作者は若草の上を実際に歩いた詩も残しています。


五月の貴公子
若草の上を あるいてゐるとき
わたしの靴は 白い足あとを のこしてゆく
ほそい すてつきの 銀が草でみがかれ
まるめてぬいだ手ぶくろが 宙でおどつて居る
ああ すつぱりと いつさいの憂愁を なげだして
わたしは柔和の羊になりたい
しつとりとした 貴女(あなた)のくびに手をかけて
あたらしい あやめおしろいの にほひをかいで居たい
若くさの上をあるいてゐるとき
わたしは五月の貴公子である。


                      萩原朔太郎「純情小曲集」より

鮮やかな若草を踏んで歩いていけば人は一切の憂愁としばらくは決別できるでしょう。

この詩にでてくる「あやめおしろい」の意味が分かりません。何れにしても女性を象徴する香織であることは間違いありません。

私の今日の憂愁は、散歩に出る時に大竹酒店で何か一本買ってこようと思っていたにも関わらず、忘れて手ぶらで戻ってしまったことです。

拾ってきた桐の枝。花が開いてきた。