2020/10/01

指圧と漢字

「指圧と漢字」

 1998年11月に書いた文章です。当時、外国人と日本人が入り交じった指圧教室を行っていました。「游氣の塾」という名称でしたから、警察官に何の塾だと質問されたことがあります。右翼団体と間違えられたようですが、高校の同期が地元警察署の刑事でしたから、その名を言うと「はっ、お名前はお聞きしております」と敬礼して帰って行きました。


 今回のテーマは「漢字」。漢字はアルファベットや仮名と違ってそれ自体が意味を持っている珍しい言語です。もともと象形文字の発展です。日本語は漢字と仮名の混在でかなり便利な言語ではないかと思っています。

「指圧と漢字」
 わたしの治療室では指圧教室を行っています。「游氣の塾」といういかにも不審な名称はこの教室のことを指しているのです。
 教室とは仰々しいですが、素朴な手当の代表である指圧療法を広く知って貰おうと思って気楽な集いを細々と、かつ綿々と続けているものです。対象はごく普通の主婦や会社員で将来これで食べていこうという人は相手にしていません。免許を持っているプロや鍼灸指圧学生用のコースは以前は別口でやっていましたが、現在は休眠中です。

 指圧教室は経営的には全くマイナスなのです。それでももう20年近く継続しています。知人からは時間の無駄使いだと揶揄されていますし、わたし自身もしょっちゅうこんな儲からないことは止めてしまおうと思っているのですけれどもなかなか止める切っ掛けがないというのが本音です。

 なぜ切っ掛けがないか。それは今現在、来ても来なくてもとりあえず在籍している生徒20数人の内、20人位は外国人で、本人が帰国しても次の人を紹介していくことが多く、結局途切れることなく生徒がやってくるからです。
 忘れたころに、

 「以前こちらで指圧の勉強をしていたJakeにクラスのことを聞いて知っていました。それで前から勉強に来たかったのですが仕事との折り合いがうまくつきませんでした。今年はクラスに参加できるように仕事を組んだからお願いします」

などとやって来るのです。これでは受け入れざるを得ません。ささやかな民間国際交流でもありますし、日本のいい思い出を持って帰ってもらいたいという思いもあります。

 最近も
「昨日日本に来たばかりですが、英会話学校の外国人教師から三島先生のことを聞きました。わたしも指圧を習いたい。カナダにいるときからずっと興味がありました。行ってもいいですか」
などと若いカナダ人から電話がありました。

 指圧SHIATSUとして外国でもそのまま通用します。中でも恩師増永静人先生の経絡指圧は海外でZEN SHIATSU(禅指圧)としてとても知られています。彼らにとって指圧は現代医学とは異なった代替療法・自然医療であると同時に東洋思想を体現するものとして興味深い対象なのです。

 わたしの所では外国人に指圧を教えるときも日本人と同様に「指圧」という漢字の説明から入ります。そうすると指圧と同時に漢字の勉強にもなるので彼らは日本人以上に喜びます。

 授業は次のような具合に始まります。多くは増永静人先生の受け売りか漢字学者藤堂明保先生の本から得た知識です。

 では、みなさん。
 指圧の勉強を開始しましょう。まず、「指圧」の漢字の意味を説明します。

 「」は手偏(てへん)に旨(シという音を表す)で「ゆび」のこと、つまり指圧に使う主たる道具である指を表しています。

 「」は旧字で「」。これは雁垂(がんだれ)と土と犬と口と月からできています。口と月は肉を表し、犬はそれが犬の肉であることを説明しています。
昔(今でも)中国人は犬を食べましたから、犬の肉は大事な食料なのですね。

 「壓」という漢字は犬の肉が土の上に置かれ、それを何かで蓋をしているというのが成り立ちです。つまり「壓」は犬の肉が大地を圧している状態。そこから古代中国人はある物が別の物にじっと圧力(重力)をかけていることを「壓」と表現したと理解できるのです。

 物理では物体をどれだけ動かしたかが「仕事(力×距離)・ジュール」であり、どれだけ強く圧力をかけても物体が動かなければ仕事は0でしかないとします。
 時々身体調整にみえる物理学の教授に「それは変だ」と訴えたことがありました。なぜならわたしの仕事である指圧はどれだけ頑張っても物体を動かしませんから物理学上は仕事をしていることにならないからです。これでは料金がいただけないではありませんか。指圧は物理学上は仕事ではないのです。何かすっきりしません。

 と、こんな具合にクラスを進めて行くのです。もっとずっと砕けた感じで冗談を混ぜながら進めます。
 例えば
「え、中国では犬を食べるの」
「そう」
「可哀想。あんなに可愛いのに」
「それは偏見。中国人は何でも食べます。鳥も魚も四つ足も。中国人が食べない四つ足は椅子とテーブルだけなんです」

 さらに、漢字の話を進めます。

 今まで説明しましたように「指圧」とは指に代表される体のある部分を用いて(逆に言えば道具を使わないで)クライアントの体に圧(静かな動揺させない力)を加える技法であるということが名前の由来になっているのです。
 「指圧」という名称は大正時代、玉井天碧という指圧療法家が使い出したとされています。

 巷間よく見かける「整体」は、以前は指圧とセットで「整体指圧」と呼ばれていましたが、今日では法制上「指圧」と一本化して括られました。しかし「整体」という名称は技法ではなく「体を整える」という目的を明確にしていますから一般の人達には分かりやすいものです。

 現在では法制上指圧業をしたくても国家資格を持たない人達は「指圧」という看板を掲げることは許されません。けれども「整体」と自称することで法の規制から逃れることが可能です。それは非常にずるいやり方ですが、「整体」自体は誠に分かりやすいネーミングと言えるでしょう。昔風の「整体指圧」なら「体を整えるために、指を使って圧力をかける療法」と完全な説明になるのです。

 指圧によく似たものに「按摩(あんま)」があります。
 本来は按摩が指圧の元祖で中国から奈良時代前に伝来しました。その証拠は大宝律令に「按摩師、按摩生、按摩博士」という医業が法制化されていることから確認できます。「鍼灸」も全く同様です。

 中国には「婆羅門導引・天竺按摩」ということばがあります。
 婆羅門(バラモン)は婆羅門教のことで仏教が生まれる前のインドの宗教です。
 導引(どういん)は「大気を導き体内に引き入れる」という健康体操でヨガを源流とした現在の気功のようなものだろうと推定できます。
 天竺(てんじく)は三蔵法師が仏典を手に入れるために孫悟空(行者)と猪悟能(八戒)、沙悟淨(和尚)を供にして目指した土地でやはり今のインドです。したがって気功も按摩もインドを源としていると考えていいでしょう。
 蛇足ながら孫悟空などの活躍する「西遊記」は呉承恩が書いた魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する架空の物語ですが、三蔵法師(玄奘)は実在の高僧でインド旅行記「大唐西域記」を著しました。

 さて「按摩」の説明に戻ります。
 「按摩」の「」は字の通り手を安定させること。
 「安」はウ冠に女。ウ冠は家を意味し、普段は豚が屋根の下にいるので「家」という字ができました。決して女房が豚みたいだという意味ではありません。
 「安」の字は女は家にいるべきだという意味か、女が家にいるから安心なのか不明ですが、いずれにしてもじっとしている意味、「安定」や「安心」を意味する文字になりました。
 「」は磨くことです。石で磨かず手で磨くということで、摩(さす)るという字。

 「」はどうでしょう。
 「箴言」ということばをご存じでしょうか。いましめとなる短い格言で、ずばり本質を突くことば。「箴」は竹の針。竹の針のように鋭く核心を突くことです。昔の針は竹だったのでしょう。だから竹冠の「箴」。後に金属製になって金偏の「鍼」。心に深く突き刺されば「感」。「」は「久」しいに「火」ですから何となく分かります。

 先程、医業ということばがでましたが「」には二つの旧字があります。
 一つは「」です。
 これは医と几と又。それと酉。
 「医」は「箱に収めた矢」のことで今ならさしずめ手術用メスのことでしょう。うっ血部を切って瀉血したものと思われます。
 「又」は手のことで、「几」が道具。手に道具を持って何か行うという意味です。つまりメスを扱うという意味。

 下の「酉」は酉(とり)のことではなく「酒」です。酒は酒でも薬用酒。植物の薬用成分をアルコール抽出した物です。これが「酒は百薬の長」の本当の由来。ですから日本酒やビールやウイスキーは「百薬の長」ではありません。
 以上のことから「醫」とはメスでの外科手術と薬酒による内科治療を指すと察することが可能です。

 もう一つの「医」の旧字は「」です。「醫」の下が酉の代わりに「巫」のようになったものです。これは巫女(みこ)さんのことで、祈祷で治療したと考えられます。

 「健康」はどうでしょう。
 「健」と「康」に共通するのは「筆」です。筆はすっくと立たせて持ちますから「健康」とはしなやかに健やかに立ち上がっている状態を言うのです。

 では「」は如何。
 病垂(やまいだれ)は床几(ベッド)を立てた形です。病垂の垂にちょんちょんとある二つの点はベッドの脚なのです。
 「丙」は人が具合が悪く、大の字になってベッドに寝ている姿を上から見下ろした図です。そうです、「寝」にもちょんちょんがありますね。意外に思いますが、中国人はベッドと腰掛けで生活しているのです。

 よくリラックスした時、大の字になって寝るといいます。
 「大」の字はずばり人が両手両足を広げた図です。

 「」は人がお辞儀をしている様子を横から見たところで、奴隷のことだと本に出ています。

 大の字になった人の上に横線を引いて示したのが「」。
 人が大地を踏み締めている絵が「」。
 人が両手を広げて足を閉じて立つと「十」。その上に天を示す横線を引き、下に地を表す横線を書く。すると「」という字になります。「王」は天と地を貫く存在なのです。
 この辺りは実に何とも感動的ですね。
 では「太」の点は何かと質問されて困るのですが研究してみてください。

 病気の「気」は元の字が「氣」。
 米を炊いた時に出る蒸気と言われます。汽車の「汽」も同じで蒸気です。
 米を覆っている部分が蒸気の象形、湯気のたなびく様子です。
 何か良く分からないがある種の力を感じるときに「気」といいます。お釜の蓋をカタカタ動かす力から想像したのでしょうか。
 イギリス人のジェームズ・ワットも少年の頃蒸気がヤカンの蓋を動かすことに興味を持ったことから蒸気機関を開発したと言われています。少年の時に蒸気が漏れないように栓をしてヤカンを爆発させるという実験もしたはずです。

 「人」という字は奴隷から由来していると言いました。漢字には同じ傾向の字がたくさんあります。
 民主主義の「」。これは目に針を刺して失明させ、逃亡できないようにした奴隷。ですから「人民」とはすなわち奴隷なのです。
 戦後「汝臣民飢えて死ね」という片言が密かに流行ったそうです。臣民の「」も民と同じく目に針を刺して失明させられた奴隷の由。「臣民」も「人民」もみな元は奴隷なのです。
 そこから「民」と「目」を合わせて「」という字が派生しました。目を閉じて眠ること。

 「」もそれに近い字です。黄昏(たそがれ)。「氏」と「日」からなり暗いという意味になります。「氏」は「民」から来ている字ですからやはり残酷にも目を潰されていることなんです。

 ではなぜ御目出度い結婚に暗い意味の「婚」の字があるのでしょう。女偏に黄昏で「」。どうしてでしょう。それは結婚生活は暗澹としているからもはや人生の黄昏になるのだという・・・これはウソです。結婚の儀式、特に男女が結ばれる床入りの儀は夜に行われるから、黄昏に結ばれるということで「結婚」と書くのです。

 これまで見てきた漢字には奴隷と女が多いことに気づかれたと思います。どちらも古代中国で虐げられた人です。奴隷の多くは部族闘争で負けた側が反抗できないように目を潰されて苦役をさせられたようです。

 女も戦利品だったかもしれません。女の奴隷は「辛(はり)」で入れ墨をされました。
その字が「(めかけ)」。「」の略字が「立」。「立」と「女」で「妾」。「妾」の意味は性行為目的の奴隷なのです。そういえば奴隷も女偏(おんなへん)でした。
 性行為は古くは「交接」。つなぐことです。「」は手偏に「妾」。ずばり性行為を示す字です。

 また似たものに「」。「童」は今は子供のことですが、元々は「目」に「辛(はり)」を通した字。奴隷のことです。「目」の上に「辛」を乗せればよく分かります。それが時代を経て子供を表す字に変化していったのです。

 それと関係あるのか関係ないのか分かりませんが女偏の漢字は一杯あります。以下は角川文庫の「女へんの漢字 藤堂明保著」より。今まで書いたこともこの本からの知識が一杯ありました。増永静人先生も藤堂先生のファンでした。

 「」はくねくねとしなを作って座っている女性の象形。
 「女」の乳房を強調すれば「」。ちゃんと二つ乳首が描いてあります。
 女が良いのは「」の時だけ・・・これはウソです。どちらもなよなよして可愛い・優しいということです。

 女が古くなるとうるさい「」。古は固い頭蓋骨。口の中に古いと書くと「」。「故」、「枯」、「涸」などに使われます。ですから堅苦しい女性のことを「姑」というが正しいと思われます。

 「」という字は「田」と「心」から成り立っています。「」は心臓の象形で心もそこに宿ると考えられていました。「田」は「古」と同じで頭蓋骨。頭蓋骨の縫合の象形です。昔の中国人は「思う」のは頭と心だと考えたのです。これを知ったときは衝撃的でした。

 「」を分解すると「自」と「心」。「自」は鼻のこと。「息」は鼻と心臓でするという意味です。息をするとき鼻を自覚しますが、息が切れると心臓がどきどきするから「息」と書くのでしょう。

 「」は「鼻」の字の一部ですね。「」は象形文字で鼻の形を表し、「自」はその省略型です。
 外国人は日本に来ておもしろいことの一つに次のことを上げます。
「日本人は『僕ですか?』と自分を指すとき鼻を指しますね。どうしてですか。欧米人はそういうとき心の在りかである胸を指しますよ」
 これはおもしろい指摘です。
 なぜ日本人が自分を示すとき鼻を指すのか分かりません。しかし、鼻を指すから鼻の省略型の「自」が自分を示すようになったことは確かです。とすると漢字の本家中国でも自分を指すときは鼻を指すのでしょうか。

 女偏の字に戻ります。
 「」の字は「女」と「子」。女も子供も可愛いから良いとか好きの意味に。

 焼き餅焼きの「嫉妬」はどちらも女偏。「嫉」の「疾」は疾病の意味。矢のように早く悪化する病気のことです。
 女三人寄れば「」しい。姦淫の意味もあり「婬」という字もあります。

 「」は妄想。みだらな想いのこと。女を亡くすと書きます。「亡」の字は何かに捕らわれてあるいは集中して心を亡くすという意味がありますから、女に夢中になるという意味があるかも知れません。「」という字は小高い丘(王)に立って、月の出を待ち心を亡くしたということから作られました。
 男が二人がかりで女を「(なぶ)る」。これはひどい字です。
 女が箒(ほうき)を持てば「」。「掃く女」です。
 女がはたきを持てば「」。はたきは高いところで振り回すので女の上に置かれたのでしょうか。
 「」の「市」は上の方に伸びた蔓を意味する字で「市」とは厳密には異なります。
 「」の「未」は未だ未熟な小枝のことで末娘。「未」は「未だならず」で曖昧の昧も三昧も同じ。


 「」は梢(木末)。根元は「」。「末」も「未」も「本」も木に印をつけた字。木陰に人が寄れば「」む。人の根本は「」。
 年老いた女性は「」。なるほど。
 年を取ると波のように皺(しわ)がよるので「婆」。本当でしょうか。
 女が少ないと「妙」だ。これは信用しない方がいいです。
 女は「奸計(わるだくみ)」がうまいので要注意。「姦計」とも書きます。要注意の「」はくびれたということで身体では「腰」になります。「要」にも「女」があり女性のウエストのこと。

《後記》

 まだまだ漢字の成り立ちを書いていけばきりがありません。ただ言えることは漢字を考えた人はきっと女性にもてなくて、その怨念から底意地悪く「女」を漢字で用いたに違いありません。その努力(女の又の力・・・これはウソ)は認めましょう。
 しかし今回はこれで止めましょう。これ以上書くと女性の怒り(女の又の心・・・これもウソ)が怖いですから。

                               (游)

 

2020/09/03

経絡指圧と利休百首

1997年12月に書いた文章です。お茶を稽古されている方はよくご存じ利休百首。茶道具の扇にも書かれています。この歌はお茶だけで無く稽古一般論としてとても優れています。経絡指圧創始者で恩師の増永静人先生はこの中から指圧の稽古に流用できるものを幾つか紹介されていました。今回はその再録です。


経絡指圧と利久百首

 右の手を扱ふ時はわが心左のかたにありとしるべし

 これは千利休が茶の湯の稽古の心構えを説いた「利休百首」のひとつです。全くの門外漢のわたしが何故に茶の湯の道歌を知っているのか。それは経絡指圧の師・増永静人の著書に度々出てくるからです。

 増永静人は卓越した理論家指圧師として知られていましたが、昭和五十七年に惜しまれて亡くなりました。享年五七才。無念の夭折でした。

 増永はそれまでの理論的根拠を西洋伝来のマッサージの理論である血液・リンパ循環論やカイロプラクティク(米国で生まれた脊椎矯正法を主とした医療。米国では六年間の大学教育を終了してドクターの資格が必要。日本では無認可)の脊髄神経反射論に依存していた指圧を東洋的な観点からまとめ経絡指圧として体系づけた功労者です。

 どうして日本生まれの指圧を西洋的でなく東洋的に理論化することが斬新であったかは不思議ですが理由はその歴史に準拠します。

 もともと指圧の原型である按摩術と鍼灸術は中国に発し、朝鮮半島を経て日本に伝えられました。婆羅門導引(ヨガのこと)天竺按摩という言葉もありますから、中国以前にインドで原型が生まれている可能性もあります。これは中世以前の他の外来文化と軌を一にしています。

 按摩は古くは按蹻導引(あんきょうどういん)と呼ばれ、黄河文化圏に起こり日本には五六二年に伝わったとされています。「按」は揉んだり押したりすること、「蹻」は手足を動かして骨格を整えること、「導引」は大気を導き体内に引き入れることで今日の気功体操に分類されます。

 奈良時代の大宝律令(養老令)(701)には医生・医師・医博士の制度と共に按摩生・按摩師・按摩博士という制度が明文化されています。同様に鍼生・針師・鍼博士。灸生・灸師・灸博士も。湯液(漢方薬)は医師や薬剤師が、鍼灸は鍼灸師が、按摩術はあん摩マッサージ指圧師が引き継ぎ、今日まで続いています。江戸時代以降、鍼や按摩術は視覚障害者の職業としても伝承されました。

 按摩術は軽医療として家庭でもできる簡便さがありますが、同時に医療体系の中に止めておきたいという人達も多くいました。その具体的なものとしては江戸時代に生まれた按腹術があります。これは字の通り腹部を重点的に処置することで疾病治癒を目指したもので思想的、原理的には中国医学の古典である『黄帝内経』という本に拠ります。

 明治になって、西洋からマッサージという按摩にそっくりの技術が伝わってきます。按摩の理論的根拠は漢方医術で言うところの「気血の巡り」を良くすることで、そのために《経絡》というスジを用いることです。経絡はいのちの元となるエネルギーである《気》や、栄養分である《血》が流れるというスジのことで内臓に関係し、心理面も反映するとされています。このスジ上にツボがあるのですが実態は明らかではありません。

(追記:近年、ファシアという組織間物質が注目され、これと経絡の実体が近いと考えられています)

 対してマッサージの理論は筋肉や血液・リンパ循環など解剖学や生理学を根拠としていて科学性があり、名称もハイカラなので按摩を自称する人は減り、いつしかマッサージと名乗るようになりました。しかし、それでもまだ治療対象が血液循環改善や疲労回復に止まっているという不満がありました。手技と言えども、もっと幅広い分野の治療が可能ではないかと模索する人達も大勢いたのです。

 そんなところにアメリカからカイロプラクティックという脊椎矯正法がやってきました。これは神経生理学的に自律神経を調整し得るという一見科学的整合性があり、多くの病気に対応できるということで多くの治療師が飛びつきました。しかも技法は在来の柔道などに伝わる活法に酷似しています。活法とは姿三四郎などの映画で気絶した人の背中に膝を当てて「エイッ!」と気合一閃、蘇生させるというあれです。

 というような顛末で、明治末期から大正、昭和の始めにかけて独自性を主張する〇〇療法が雨後の竹ノ子のごとく発生しました。戦後、政府はそれらを法的に整理するために紆余曲折の果て、指圧として統合しました。按摩業界から猛然たる反発があったとは今でも語り種です。なお、指圧という名称は大正時代に玉井天碧という人が使用していたのが最初と言われています。

 今日でも、カイロプラクティックは指圧ではないから法的に指圧に統合されては困る、わたしの療法は神のお告げによって生まれた独自の技術で如何なるものとも異なると称していろいろな治療術が雨後の竹ノ子どころか雲霞のごとく大発生しています。

 何故なら、正式な業者として指圧とか按摩とかマッサージと名乗るためには最低三年間学校に通い、国家試験を受けなければなりませんが、我が国には違う名称さえ名乗れば免許は関係ない、いかなる法的拘束は受けないというすばらしい抜け道があるからです。

 ちなみに鍼灸のための学校は京都に大学が一校、大阪に短大が一校、その他全国に十数校の専門学校があり、さらに各都道府県の盲学校でもそのための教育がされています。鍼灸学校を出た後、大学の医学部の研究室で研究し、医学博士を授与された人も昨年から今年にかけて愛知県で三名います。まさに大宝律令の鍼博士を地で行くものですね。

(追記:現在は鍼灸大学、鍼灸専門学校が大変増えています。マッサージの専門学校は増えていません)

 さて、最初の「利休百首」と増永静人に戻ります。
 増永静人はわたしにとっては指圧の先生というだけでなく、医療の思想や人生哲学など実に多くのことを与えてくださった人です。増永から授与された認可証は次の文面で、今も書斎に掛けてあります。

     証

                        三島広志

  右者医王会に於て現代医学を基礎とし東洋古来の経絡治療
  と日本独自の按腹術を加えた高度な指圧療法を学び証診断
  治療の指圧臨床技術を習得されたので本状を授與します
昭和五三年五月廿日

日本東洋医学会員
日本臨床心理学会員
日本指圧協会理事
                   医王会会長 増永静人

 昭和53年ですからもう二十年も前のことになります。増永の肩書に東洋医学会員(後に評議員)と指圧協会理事というのがあります。これは当然ですが、日本臨床心理学会員というのは不思議でしょう。書いてありませんが日本心理学会員でもありました。これはなぜかというと、増永は京都大学の哲学科心理学部を卒業しているからなのです。

 大学卒業後、増永は「指圧の心、母心。押せば命の泉湧く」で有名な浪越徳次郎先生の日本指圧学校を卒業し、そのまま教員として後進の指導にあたりました。そこでは心理学と病理学、症候概論、漢方概論などを教えていたようです。しかも増永の恩師は西田幾多郎の弟子ですから、増永のバックグラウンドは心理学と西洋医学と東洋哲学ということになります。これらのことが先の認可状の文面に反映されているのです。

 そんな増永の好きなもののひとつが茶の湯です。やっと冒頭の利休にたどり着きました。わたしは増永から利休の道歌「利休百首」を指圧用に作り替えたことがあると直接聞きました。しかし、増永が著書で紹介しているのは冒頭の「右の手を」と

  茶を振るは手先をふると思ふなよ臂(ひじ)よりふれよそれが秘事なり

でした。これを「指圧をば指で押そうと思うなよ肘より押せよそれが肘なり」と替え歌にして紹介していたのです。

 それに習ってわたしも二十年前、自分なりに利休百首を読み、替え歌にしてみました。増永に「五十首くらい変換できた」と言いましたら氏は、「いや、七十首以上できるはずだ」と答えました。残念ながらそのノートは行方不明ですが、もう一度本を読んでいくつか紹介したいと思います。

 今日、受験勉強(この場合、受験だけを目的とした勉強であって、受験を通過点として学習することとは違う)の弊害で習うとか学ぶということが知識の伝達だけになりがちですが、元来文化の伝達には稽古という技法があり、これには「教える側が習う側よりさらに学ぶことができる」という利点があります。学生側が成長するためには早く一派を起こし教える側に回ることが大切だったのです。かくしてさまざまな流派が乱立するという問題点はあるものの、身をもって学ぶという意味で稽古は古臭い言葉ではありますが重要な方法なのです。

 冒頭の歌「右の手を扱ふ時はわが心左のかたにありとしるべし」とはどういうことでしょう。右手を使うときに右手を意識すると緊張して堅くぎこちない動作になるからあえて左手を意識してごらん。右手が無意識的な自然の動きができるから・・というような意味です。これは全ての身体技法に共通する原理と言っても過言ではありません。
 類似した歌に

  何にても道具扱ふたびごとに取る手は軽く置く手重かれ

があります。

 さて、気に入りの歌をどんどん紹介しましょう。

  その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけり

 決意こそが心の中にある師匠なのだと言うのです。

  ならひつゝ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚なりけり

 まずはやってみなさい。体験してみなさい。あれこれ言うのはその後だよということでしょう。体験する、これが稽古の基本です。体験を経験にするという内的処理こそがヒトが人間であるゆえんなのです。

  心ざし深き人にはいくたびもあはれみ深く奥ぞをしふる

 志の高い人でなく深いというところに意味があるようです。そういう人には奥深いことまで教えるのです。ここにすばらしい弟子を持つ喜びがあるのでしょう。師弟は相互に高め合う関係こそが素晴らしい。アメリカの大学教授はうるさく質問する学生を歓迎します。それによって自分が高まるからに外なりません。

  はぢをすて人に物問ひ習ふべしこれぞ上手のもとゐなりける 

 こちらは教わる人の心構え。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ということわざもあります。

  上手には数寄ときようと功つむと此の三つそろふ人ぞよくなる

 数寄とは興味や好奇心。好きの当て字。きようは器用。功つむとは努力して励むこと。この三つがあれば成長する。

  稽古とは一より習ひ十をしり十よりかへるもとのその一

 これはわたしの大好きな言葉。一から習って十を知ってまた一に帰るのですが、この一は決して最初の一ではありません。次元の異なる一。

  もとよりもなきいにしへの法なれど今ぞ極る本来の法

 本来の法に行き着きたいという強い志。人類未到の世界を目指そうというのです。

  規矩作法守りつくして破るとも離るゝとても本を忘るな

 規はコンパスのこと。矩は物差し。どちらも測定の基準となる道具で手本を意味します。中国では修行の段階を守破離に分けます。書道で説明すると楷書・行書・草書に置き換えることができます。まず先生から教わったことをそのまま守って練習することを。次にそれを少し壊して自分なりに変化させることを。外見的には全く異なるまで自分のものにしてしまうことを。しかし本質は変えないというのです。ここに芸事の流派がどんどん増える理由の一つがあります。

 百首のうち、冒頭と最後に一般性のある、どの道にも通じる歌を置き、真ん中にはお茶の具体的な技法の教えを説いています。その演出は見事なもの。ここで紹介した歌はすべて芸事一般に流用できる歌です。すなわち「本意」の歌なのです。

 お茶の技法という特殊性を歌ったものも指圧に置換すれば、指圧を習う歌に替えることができます。むろん、料理でも裁縫でも踊りでもなんにでも流用できるところにこの歌の妙味があります。

 道はともすれば形式主義の塊、形の上にほのめいている観念的なものと言えるでしょう。しかし形の上、もしくは奥に潜んでいるあらゆるものに共通する普遍性を垣間見ることは重要なことです。そこに今日一部の西洋人が道(ダオイズム)に関心を抱く理由があるのです。

 増永静人の書いた「禅指圧」はアメリカでロングセラーです。指圧と言えば増永静人というほど知られています。外国人に「君の指圧のスタイルは何だ」と聞かれ「増永のスタイル。禅指圧だ」と答えるととても驚き、さらに直接の弟子だと知ると大喜びします。

 わたしの所に来る西洋人は指圧に対して医療の側面と道の側面の両方を求めています。それに答えたのが増永静人だったわけです。これも西洋人の東洋回帰、物事の奥に本質を見いだそうとする道、ダオイズム大好きの流れに乗っています。

 「虎は死して革を留め、人は死して名を残す」
 増永静人先生は没後もわたしを助けてくださっています。わたしが遺せるのは・・・借金ぐらいかなぁ。

 ところで千利休はこんな歌も遺しています。

  釜一つあれば茶の湯はなるものを数の道具を持つは愚な
  数多くある道具をば押しかくしなきがまねする人も愚な

 うーむ。お茶の先生はこの歌を知っているのでしょうかね。形式の中の本質を見ようとしない時、形式主義は形骸主義になり、道は奈落への道、ダオイズムはダメイズムになります。

 

2020/08/25

青は藍より出でて・・

 1997年10月に書いた文章。改めて読み返してショックを受けました。それは文中に出てくるサクソフォニスト原博巳さんのことです。彼は高校の同級生でクラシカルサクソフォンの世界でとても有名な服部吉之君の教え子です。そのお陰で何度か演奏を生で聴きました。文中には日本一と書いてありますが、その後、2002年、ベルギーで行われたの第三回アドルフ・サックス国際コンクールで優勝しました。アドルフ・サックスはサクソフォンの発明者です。その名を冠した権威ある国際コンクールの1位は素晴らしいものです。2019年11月に行われた同コンクールでは日本人が大活躍。以下をお読み下さい。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019111000166&g=int

日本人が1位、2位、6位に入ったのです。しかし丁寧に読むと「日本人の栄冠は2002年大会の原博巳さん(今年8月に死去)以来、2人目」とあります。44歳の急逝。これからますますご活躍という年齢でした。改めて哀悼の意を表します。

青は藍より出でて・・

 十月三日、名古屋のザ・コンサートホールで高校の同級生服部吉之君とその夫人真理子さんによるサクソフォン(吉之)&ピアノ(真理子)のリサイタルがありました。

 服部君は小学校からサックスを始め、東京藝大から同大学院を経てパリの音楽院を一等賞で卒業。以後、ソロやサクソフォン・アンサンブル「キャトルロゾー」などの活動。指導者としても洗足学園や尚美で後進の指導に当たっています。(現在は洗足学園音楽大学の教授です)

 奥様の真理子さんとピアノの出会いは幼少3歳。幼稚園にもいかずにピアノにしがみついたそうです。その精進の結果、東京藝大付属高校から同大学卒業。演奏活動、主として管楽器の伴奏者として活躍しておられます。歌手の故藤山一郎に可愛がられていく度も伴奏したと聞きしました。尚美で芸大を卒業したプロのピアニストの指導をしています。

 二人は個々の活動を精力的に行っていますが、それとは別に、東京、名古屋、北海道などでほぼ毎年一回、「デュオ服部」として夫婦でリサイタルを行っています。今回はなぜか趣向を変えての特別企画でした。

 特別企画。
 それは服部君の弟子で昨年度の日本サクソフォンコンクールで見事一等賞に輝いた原博巳君(尚美・東京藝大)と服部君によるサクソフォン・デュオ。
 もう一つは真理子さんが3歳から親炙(しんしゃ)している師の吉田よし先生(東京音楽学校現東京藝大卒業)と真理子さんによるピアノ・デュオという変則のプログラム。即ちピアノとサクソフォンの師弟デュオということです。デュオとは二人で演奏することでデュエットのこと。

 今回はなぜ師弟なのでしょう。それは文化一般から考えてみる必要があります。
 そもそも文化とは歴史と社会を持つことで初めて成立する人間独自の営みです。他の生物には決して見られないものなのです。蜂や蟻が社会を形成しているといってもそれらは本能のままに営まれていて、歴史に裏打ちされたものではありません。後代に教育的に継続させるものではないのです。

 文化は広義には科学技術から料理、スポーツ、格闘技、政治、経済、産業などあらゆる分野を含みます。狭義に限定すれば文化庁があつかう音楽や美術、書道や文学、歌舞伎や文楽、演劇、映画などの芸術や芸能がその代表的なものとなるでしょうか。

 もし文化が歴史を持たなければその人限りで滅んでしまいますし(多くの人間国宝がその危機にある)、同じようにもしそれが社会性を得ることがなければ単なる孤立、独りよがりに終始してしまいます。

 そういう意味で師弟とはまさにその歴史性を担う極めて重要な関係であり最小単位の社会なのです。
 40歳を過ぎて服部君も先代から受け継いだモノに自分の得たモノを付加して後代に伝えるという仕事に比重を置いてきたのでしょうか。彼もまた立派に歴史と社会に生きている人と言えます(おお、それに引き換えわたしのふらふらした根無し人生・・自嘲)。

 ついでに社会性のことを言うなら芸術の受け手が社会性の大部分を支えています。同時に俳壇や画壇、文壇のように作り手の側の社会性もあります。

 さて当夜の演奏は毎度のことながら素晴らしいものでした。

 「俺は原博巳君の師匠ではない。原君のファンなのだ」
と公言して憚(はばか)らない服部君は実にうれしそうに愛弟子と共演していました。例えて言うなら一人前に成長した若鶏をそっと優しく抱くような師匠らしい喜びとゆとりのある暖かい演奏でした。
 弟子の原君は170名の中でトップに立ったというだけあって21歳とは思えないテクニックとステージ度胸、立ち姿や音色の良さなど器の大きさを師匠を前にしてなんら臆すところなく発揮していました。

 服部君と真理子さんの演奏は時に争うような緊張感(夫婦喧嘩ではない)を醸し出していましたが、当日の師弟コンビはそういった緊張感は漂わせてはいませんでした。むしろほのぼのとした雰囲気を客席まで伝えて来ていたのです。
 ただし知り合いの演奏家に聞くとプログラムは非常に高度なもので相当な技量を要する曲ばかりだそうです。そうした難しい曲を演奏しながらも客席にはゆとりある至福感として伝わって来たということは両名の音楽技量がいかに高いかを証明するものと言っても過言ではないでしょう。

 ピアノはどうだったでしょう。
 吉田よし先生は女性ですからお齢を書くことは失礼ですので控えます。ただ、原君が21歳でよし先生は彼よりほんの半世紀だけ早くお生まれであると記しておきます。

 率直に申し上げて、先生の演奏は齢のことを考慮する必要の無いまるで若々しいものでした。ピアノに向かった美しい姿勢から時に激しく、時に幽かに、あるいは情熱的に、あるいは冷ややかにと鍵盤の上を自在に動き回る指から奏でられる演奏は全く現役の演奏家でした。
 演奏歴はおそらく60年を超えられるのではないでしょうか。まさに練りに練られた動き、それは難曲をあたかも魚が水中を泳ぐがごとくの自然さで弾きこなされるのです。円熟の極みというものでしょうか。日ごろのたゆまない習練の成果以外のなにものでもないでしょう。であればこそ音楽を深く理解し、頭でイメージしたように自然体で奏でることがお出来になると思うのです。

 よし先生の音色は甘く、真理子さんの音は聡明。
 お互いがそれぞれの音をきっちりと受け止め合い、音楽としてまとめていく。服部君たちと同様、まことに師弟の演奏とは素晴らしく、拝聴していて気持ちの良いものでした。

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 「出藍の誉」という言葉があります。
 「青は藍より出でて藍より青し」
とも言います。これは荀子の次の言葉に基づきます。
 「青出于藍而青于藍」
 広辞苑によれば、青色は藍から作られるが藍よりも青い。弟子が師よりもまさりすぐれるたとえ、ということです。
 余談ながらわたしの属している俳句会はこの故事からとって「藍生(あおい)俳句会」と言います。主宰は黒田杏子。

 一般には辞書にある通り、青は藍より出でて藍より青いから出世しと解釈します。だから「出藍の誉」。けれども本当にそうなのでしょうか。ささやかながらも異論を申し上げたいですね、仮に荀子がそういう意味で言ったとしても。

 「出藍の誉」とは言うものの決して青が藍より優れているということではないはです。それよりも藍という個性から青という新しい個性が藍を踏み台として花開いたと見たほうがいいのではないでしょうか。

 確かに「出藍の誉」とは言いますが、決して青と藍を比較して青が優れているという意味ではなく、師から教わったことに、わが個性を加えて新しい世界を開くことができたというように考えたいのです。師を乗り越えるとは師から受けた教育の成果を通して質的に転換をなし得たということなのでしょう。
 本来、優れた師とは本来乗り越えられないほどの境地にある人なのですからその境地が超えられるならその人は最初から師匠ではないのです。

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 演奏会の後の酒宴で元全日本レベルのサッカー選手で今は酒屋を継いでいるA君が言いました。

 A君が服部君に質問しました。
 「おい、服部。ちょっと聞きたいけど、上手な弟子が出てくるとうれしい反面、追い越されるという焦りを感じないかい」
 体力を必要とする元スポーツ選手らしい率直な質問です。
 「そんなことは全く無い」
と服部君は切り返します。
 「弟子が自分の技量を引き継いで、自分を追い越してさらに成長してくれたら師匠としてはうれしいもんだ。弟子の成長ぶりは自分の励みにもなるし」
 お店の商品をおなかに一杯詰め込んで既にいい気分でやって来たA君はそれには納得せずさらに突っ込みます。

 「弟子の進歩を喜ぶのはある意味でもう敵わないからと、弟子の成長ぶりに目を細めるというポーズで逃避することではないか」

 「体力が技術の大きな部分を占めるサッカーと違って、音楽などの芸能はその年齢に応じた魅力が出せるのだから、追い抜かれるという気持ちはそんなに起きないのではないかな。サッカーみたいにレギュラー人数も決まっていないし。俺は俳句をやっているからそう思う。青春の俳句、働き盛りの俳句。老境に遊ぶ俳句。音楽も同じでは・・」と、わたしも議論に参加しました。

 「そうそう、みっちゃん(わたしの小学校からの愛称)の言うとおり」
服部君も同意します。

 「ま、話し合いもそれくらいにしとかんと、パパラッチのみっちゃんがまたこのやり取りを密かに取材して前みたいに通信に書かれるぞ。ネタにされてまうぞ」
 元不良で今はこわもて刑事のT君が職業意識のこもった配慮で穏やかに話の中に入って来ました。

 「だいたいよー、Aは天才肌で、途中でクラブを止めても戻って来たら即レギュラー。また止めても戻ってきたらすぐレギュラー。まじめにずっと練習しとっても一回も試合に出れんかった奴もおるのに。俺だってレギュラーになれんから勉強に精を出せとやんわり退部勧告されたんだ。天才のおまえにとっては後進に指導とかは縁のない話だ」

 「いや、実は俺、今、小学校のクラブを指導しているんだ・・・」

かつての天才サッカー少年もすでに歴史に参加しているのでした。

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 わたしの指圧の師匠は増永静人という人でその世界では有名な人です。師事できたのはほんの3年ほどで、先生は亡くなられてしまいました。晩年、先生が言われた言葉で記憶に残っているものがあります。

 「論語に
   朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり
  という言葉がある。
 これは朝、真理を知ったらもういつ死んでもいい、それほど真理とは得難いものなのだと解釈されている。しかしわたしは別の解釈をする。それは朝、弟子に真理を伝えることができたらいつ死んでもいいということだ」

 当時、先生はガンに罹っていました。心底切実な思いがあったに違いありません。50代半ばで死を自覚された先生はまだ自らの研究が途中であることと、自分を本当に理解している弟子が一人もいないという二重の寂しさを直視されていたと思うのです。それが論語の解釈になったのでしょう。
 その寂しさは歴史が途絶える寂しさです。先生没後十八年。わたしは未だに不肖の弟子どころか弟子と呼ばれるレベルにも達していません。(没後40年、未だし)

 それを思えば服部君が原君という優れた弟子に出会えた喜びは計り知れないものがありましょう。同様ににサッカー小僧を相手にし始めたA君や、まるで刑事ドラマさながらに異星人のような若手刑事を現場教育しているT君にも同じ思いにつながるものがあることは想像に難くありません。

 不肖の弟子にもなれていないわたしに弟子が持てるはずもなく、また、現実にいるはずもありません。それは寂しいことですが、まだ成長過程にある、いうならば青春期にある万年青年と呼ばれるわたしにとっては当然のことでしょう。今、中途半端のままでいっぱしの師匠気取りになればそれはおそらく師匠でなく支障にしか過ぎないことは自明のことなのです。

 (附記:文中に出てくる真理子さんとはFBでやり取りしています。原さんの逝去のことを尋ねたら、「あんなに哀しいお葬式は無かった」と痛切にお答えになりました。)