ここは日本の介護の現状や理想、行政への忌憚ない批判が書かれています。
ぜひお読みください。
このサイトはすでに二冊の本として上梓されています。
当施設の「看取り介護」のコンセプトの一つに、「あきらめない介護」というものがある。
最後まで口から食物を摂取することをあきらめない。仮に食事が摂れなくなっても、調子の良い時に、好きな食べ物をほんの少しでも味わうことをあきらめない。そのためにチーム全体で関わり、準備も怠らない。
湯船につかるという文化と生活習慣を持つ日本人として、最期の瞬間まで湯船につかる入浴をすることもあきらめない。
最期の瞬間まで耳は聞こえる(聴覚障害のある方の場合を除く)と信じて、声をかけることもあきらめない。
そして看取り期であるからと言って、人と接することをあきらめない。活動に参加することができないなんて考えず、参加することもあきらめない。
あきらめない介護を目指すことは、看取り介護対象者の隅々までを観察し、いろいろなことに「気づく」感性が求められる。それができてこそ、真の意味で我々が看取り対象者の「代弁者」となり得て、最期の瞬間に傍らにいることが許されるのだと考えている。
そういう「気づき」の積み重ねが、職員のスキルアップに繋がっていくのではないだろうか。次に紹介する看取り介護ケースは、職員...
最後まで口から食物を摂取することをあきらめない。仮に食事が摂れなくなっても、調子の良い時に、好きな食べ物をほんの少しでも味わうことをあきらめない。そのためにチーム全体で関わり、準備も怠らない。
湯船につかるという文化と生活習慣を持つ日本人として、最期の瞬間まで湯船につかる入浴をすることもあきらめない。
最期の瞬間まで耳は聞こえる(聴覚障害のある方の場合を除く)と信じて、声をかけることもあきらめない。
そして看取り期であるからと言って、人と接することをあきらめない。活動に参加することができないなんて考えず、参加することもあきらめない。
あきらめない介護を目指すことは、看取り介護対象者の隅々までを観察し、いろいろなことに「気づく」感性が求められる。それができてこそ、真の意味で我々が看取り対象者の「代弁者」となり得て、最期の瞬間に傍らにいることが許されるのだと考えている。
そういう「気づき」の積み重ねが、職員のスキルアップに繋がっていくのではないだろうか。次に紹介する看取り介護ケースは、職員...
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