2021/05/21

俳句とからだ 169号 石鼎の闇

 連載俳句と“からだ” 169

 

愛知 三島広志

 

石鼎の闇

 宇宙の写真を眺めるのが好きだ。闇に白く輝く天体。地球もまた闇の中で太陽に照らされ青白く輝いている。外に出て宇宙を見上げると星が様々な色で瞬いている。星には光りの玉として自ら輝く恒星と太陽に照らされた惑星がある。

この夏はことさら暑く、散歩は日が沈んでから出掛けた。今年は土星と木星が大接近する年なので見上げると夜散歩の目を楽しませてくれた。近くに月も見える。そして改めて宇宙は闇であると実感した。名古屋市内でも里山へ行くと木々が高層ビルの光を遮るので漆黒の空が見える。夜目に馴染むと多くの星座が浮き上がる。郊外へ出ればなおさらだ。

 

山国の暗(やみ)すさまじや猫の恋

原石鼎

 

しかしここ何年も本当の闇を観ることがない。半世紀以上前、祖父母の家を訪れるとそこには江戸時代とさして変わらないであろう闇があった。駅から鼻の突き出た旧式のバスに乗る。バスは山道をうんうん唸りながらのろのろと登る。バス停を降り、バスが去ると真の闇が生まれる。道も路傍の草も空より暗い。街灯のない道を星明かりで探るように歩き出す。道の遙か向こうから「谷家」と描かれた提灯が近づいてくる。祖父が声を掛けてくる。蝋燭の揺れる灯りで足下を照らしながら尾根道に出ると谷の所々に民家の灯がささやかに点っている。何しろ隣家まで数百メートル離れた山村だ。白く光るのは農業用溜池。遠く瀬戸内海も光りを放ち、空には銀河が尾を為す。空は明るいのだが足下は暗黒で慣れない山道には難渋する。

 

山国の闇恐ろしき追儺かな  同

 

 「あそこに森があるじゃろ。あの下の畑に猪が出て芋を食うてしもうて困っとるんよ。上手に掘り起こすけんのう」孫達を驚かすように些か大仰な祖父の語りだ。目を凝らして見つめると畑は仄白く浮かび上がる。「この前は鼬が鶏小屋を狙っとったんじゃ」と続ける。尾根から細い谷道を下ると右手に鶏小屋と納屋、左手に母屋と蔵が浮き上がる。鶏小屋には月明りを反射して鼬を脅すため鮑の殻がぶら下げてある。柵の根元には鼬の掘った穴。

 

淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守 同

 

 原石鼎(18891951)が1912年(明治45年)7月から1913年(大正2)10月まで過ごした深吉野は石鼎俳句開眼の地と言われるが、その闇の深さは掲句通り凄まじい恐ろしさを湛えていたことだろう。なにしろ私の子ども時代の闇の記憶からさらに半世紀以上遡った深吉野だ。その真の闇の奥から響く恋猫の声、節分の寒極まる闇に発せられる追儺の声、山の中の鹿火屋の淋しさを紛らわす鐘の音。光りの無い世界に確かなものは音声なのだ。

 

 月の猪祖父の語りの大仰に  広志

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