2022/08/25

俳句とからだ 181 麦藁ストロー

 

連載 俳句と“からだ” 181

 

三島広志(愛知県)

 

麦藁ストロー

 この頃サスティナブル(sustainable)やSDGsSustainable Development Goals)という言葉をしきりに耳にする。sustainableは持続するという意味のsustainに可能を示すableがついた言葉で持続可能の意。SDGsは外務省のウエブサイトに「『持続可能な開発のための2030アジェンダ』に記載された,2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標」と書かれている。

 

生きかはり死にかはりして打つ田かな

村上鬼城

 

このような環境運動は過去にも度々起こった。その理由の一つとして考えられるのは資本主義と環境破壊が表裏の関係にあるということだ。人々の欲望は果てしない。特に購買力のある有閑階級は財に任せて生活必需品以外に多くの贅沢品を浪費する。これを衒示的消費という。それは労働階級の人々に富を見せびらかすことになるが結果として「浪費という消費は有閑階級から広がり、資本主義という文化全体の決定的な特徴となる(後掲資料)」。こうして経済市場が無限に拡大すると自然破壊、農地の減少、資源の枯渇が明らかになってくる。そこで拡大に歯止めを掛けようとする運動がしばしば沸き起こる。嘗ては山の資源を無駄にしないために割り箸が、海の資源の象徴としては鯨が注目された。今日のサスティナブルでは地中に蓄積された炭化水素から生産されるプラスティックが槍玉に挙がっている。(内田成「資本主義と環境問題」埼玉学園大学紀要第10号参照)

 

麦車馬におくれて動き出づ

芝不器男

 

プラスティックの代わりに麦の藁を用いた麦藁ストローを使おうという声が上がり、既に商品化されている。しかし、ストロー(straw)とは麦藁のことだ。麦藁の代替としてプラスティックが使われたのであって決してその逆では無い。

 

ストローの歴史は古く、古代メソメタミア文明シュメール人のビールに遡る。濾過技術が不十分だったため沈殿物を避け、上澄みだけ飲むためネイという葦の茎を使った。麦藁(ストロー)を使用するようになりストローと呼ばれるようになる。プラスティックが発明され主流となったがストローという名称がそのまま用いられている。この飲用に用いる管状の道具をストローと思い込み、本来麦藁であったことが忘れられたようだ。

 

しかし重要なのは、目先の善行に酔いしれずに「私たち人間が地球のあり方を取り返しがつかないほど大きく変えてしまっているということ」(『人新世の「資本論」』斎藤孝平)を直視することだろう。

 

討ち入りの日のストローを折り曲げる

越智友亮

俳句とからだ 180 言葉と身体感覚

 

連載 俳句と“からだ” 180

 

三島広志(愛知県)

 

言葉と身体感覚

 COVID-19は二年近く医療体制や経済、身近な生活などに大きな影響を与え続け、未だ先が見えない。自分自身、移動はほとんど歩行か自転車。会食せず、通販多用、散髪はヘアカッターを使用し自分で刈っている。多少の虎刈りなどこの年齢に成れば何ら臆すことは無い。

 

髪を刈りつつふと思った。柔道には「刈()」という技が多い。大外刈、小外刈、大内刈、小内刈など。いずれも相手の脚を刈り倒す技だ。さらに柔道には「払()」という技もある。送足払、出足払、払釣込足など。刈ると払う。創始者は明確に名称を使い分けている。それは技の特徴を示しているからだ。大辞林によれば刈るは草・毛など生えているものを、根元を残して切り取る」、払うはじゃまなもの、無益なもの、不要なもの、害をなすものなどを除く」となる。お祓いも払うと似ており厄災を払ってその場から除去する神事となる。

 

 刈田尽き荒磯の白き波を見る

山口青邨

 

 刈るは根元を残して切る行為だが一気に素早く刈る一瞬の時間が特徴、対して払うは払いのけた後に何も残さないという空間状況が重要に思える。柔道の小内刈は相手の脚をザクッと鋭く刈り取るように仕掛けるのでその場に落ちるように決まる。出足払はタイミングを計りながら足を柔らかく密着させ払うため、相手は全身が浮き上がるように投げられる。速度よりも足を払い除けるイメージだ。

 

 橋に出て屏風掃きけり煤払ひ 原石鼎

 

 東北大学名誉教授生田久美子に『わざ言語』(慶應義塾大学出版会)という著書がある。古来、わざの伝承は「感覚の共有を通して『学び』へ」導かれていた。そこでの言語を「わざ言語」と説く。まず特定の行為の発現を「促し」、ある種の身体感覚を持つように「しむけ」、自らの到達点を弟子に「突きつける」のだという。その間、直接的な言葉ではなく身体感覚の共有を通じて伝承が行われる。それを「わざ言語」と命名した。「わざ言語」は修行の長い過程で繰り返し「教える者」から「学ぶ者」に発せられる。「教える者」から発せられた卓越した表現は極意として記されたのではないか。柔道の極意は「押さば引け、引かば押せ」「押さば回れ、引かば斜めに」と伝えられている。

 

では技の名前はどうだろう。小内刈や出足払はそれ自体が「教える者」の到達点を示していると考えられる。先人達が苦悩の末に見出した極意が実は既に技の名として命名されていたのである。

 

 あるだけの明るさの中麦を刈る  

阿部風々子

俳句とからだ 179 オリンピックとオリンピズム

 

連載 俳句と“からだ” 179

 

三島広志(愛知県)

 

オリンピックとオリンピズム

 東京オリンピックはCOVID-19の影響で一年延期し、2021年夏、ほぼ無観客で開催される。そこまでして開催する必要はあるのか。古代オリンピックは紀元前776年の第1回大会から紀元後393年の第293回大会まで約1200年にわたって四年に一度、ギリシアのオリンピアで行われた。競技種目は第1回から第17回まで192m(この距離をスタディオンといい、スタディアムの語源)の徒競走のみだったが、第18回以降、レスリング、ボクシング、パンクラティオン(総合格闘技)、長距離走、五種競技、円盤投、やり投、戦車競走などが増えた。実は古代オリンピックはスポーツ大会ではなく全能の神ゼウスを祀る祭典だった。祭典の間、休戦(エケケイリア)をしたので平和の祭典と呼ばれる。しかし皮肉なことにローマ帝国の征服によって終焉を迎えることとなる。

 

 1896年、近代オリンピック第一回アテネ大会が開催された。中心になったのはピエール・ド・クーベルタン男爵(18632004)である。古代オリンピックに影響されたスポーツ大会は世界のあちこちで実施されていたが、国際的な活動になったのはこの大会だけであった。クーベルタンはスポーツの教育や心理に果たす役割に関心を抱いていた。自らの理想を実現するため社会啓蒙も行い、オリンピックとして結実した。彼は「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というオリンピズムを提唱した。「教育者としてスポーツによる人間陶冶と社会改革という二つの思想(参照:田原)」が生み出したものだ。しかし「帝国主義的植民地政策に加担する言説や社会不平等論(参照:清水)」を唱えたこともあり、先のオリンピズムと矛盾するところもある。

 

仮にコロナ禍でないとしても、果たしてオリンピックに今日的意味はあるのだろうか。1896年に近代オリンピックが始まって二度の大きな世界大戦があった。その後は国威発揚、代替戦争の場となり、現在IOCは興業主として選手の存在を全く無視、深夜の試合や真夏のマラソンを組む。古代オリンピックは神事だった。現在も各地に祭典があり、純粋なスポーツ大会も開催される。利権者の手遊びに付き合う必要など全くない。

 

 湾曲し火傷し爆心地のマラソン

金子兜太

参照

「古代オリンピア祭典の起源とその周辺」加藤元和

「オリンピックと教育­-オリンピック競技大会誕生の背景とその今日的意義-」田原淳子

「古代オリンピックの知られざるリアル」橋場弦

「クーベルタン、その虚像と実像」清水重勇

俳句とからだ 178 DNAとワクチン

 

連載 俳句と“からだ” 178

 

三島広志(愛知県)

 

DNAとワクチン

 COVID-19(新型コロナウイルス)が蔓延して一年半が経過した。期待されたワクチンが日本国内でも接種されつつある。しかしワクチンに対する不安や様々な憶測も飛び交っている。そこでワクチンに関してPubMedという生命・医学論文検索サイトで調べてみた。目を引いたのが以下の論文である。

COVID-19 mRNA Vaccines Are Generally Safe in the Short Term: A Vaccine Vigilance Real-World Study Says.(Frontiers in immunology. 2021)

COVID-19 mRNAワクチンは一般的に短期的に安全」という表題だ。結論は「COVID-19 mRNAワクチンは、一般的に非重篤な局所または全身反応であった。アレルギー経験はアナフィラキシーの危険因子でありさらなる評価と監視が必要」とある。論文は7名の中国人専門家によるもので202012月までに米国で接種された180万回以上の結果に基づいている。

 

 免疫、ワクチン、DNARNAそしてmRNAについて復習してみよう。免疫とは自己と非自己を認識し自己(身体)を病原体などの非自己(抗原)から防衛する働きだ。抗原に対抗する抗体を作成し、将来に備えて記憶する。ワクチンは病原体を無毒化・弱毒化した抗原で体内の抗体産生を促し、感染症に対する免疫を人工的に獲得する。DNAは生命を維持するための「設計図」であり、主に細胞の核の中に存在し遺伝情報の蓄積・保存を担う。対してRNAは細胞内にありDNAの情報を転写し、タンパク質の合成(翻訳)を行う。つまりDNAは重要な遺伝情報が記録された原本で常に核という金庫に保管されている。必要な情報だけコピーして持ち出されたものがRNAである。話題のmRNA(messenger RNA)RNAの一つでDNAからコピーした遺伝情報に従ってタンパク質を合成(翻訳)し、役目を終えるとすぐに分解される。用済みのコピー用紙がシュレッダーに掛けられることと同じである。したがってRNAは破壊されてもDNA(原本)は守られる。

 

今回二種類のワクチンが開発されている。一つは無毒化した別のウイルスの中にCOVID-19の表面に突き出た角のDNAを入れたウイルスベクターワクチン。もう一つはmRNAワクチン。合成した角のRNAを細胞に注入する。するとRNAmRNAとして機能し抗体を作る。抗体は自己を傷つけることなく非自己(病原体)を特定し破壊する。mRNAワクチンは理論上DNAを変質させないため安全性が高いという。皆がワクチンを接種すると個人免疫と同時に集団免疫も獲得できる。人類という生命共同体の維持存続には不可避のことだ。

 

 自己非自己何もて分かつ半夏生

三島広志

俳句とからだ 177 共通言語

 

連載俳句と“からだ” 177

 

愛知 三島広志

 

共通言語

近年、医療や介護、福祉の世界で地域連携が叫ばれている。在宅高齢者の居宅へ介護支援専門員や介護福祉士が訪問する。医療が必要なら訪問看護や訪問リハビリ、歯科衛生士などが加わる。医療の指示は医師や歯科医師が行い、薬品管理に薬剤師も参加する。対応が医療、生活、経済、社会参加など多岐に亘るため多職種との連携が必要となってくる。そこで問題となるのが多職種を貫く共通言語だ。

医療系の共通言語として一般的に知られているものがvital sign(バイタルサイン 生命の兆候)だ。体温、血圧、脈拍数、呼吸数の基本に加えて意識レベルを調べる。近年はSpo2(酸素飽和度)も必須となっている。日常的に記録しておくと異常に気づき易い上に多職種間で情報を共有できる。

 

しかし共通言語以外に専門用語がある。標準語と方言に換言すると理解しやすいだろう。理学療法士は肩の三角筋が筋力3と聞けば抗重力可能(腕を上げることが可能。筋力2では不可能)であるから生活動作可能と理解する。薬剤師は薬の成分名(例:ファモチジン)で互いに理解可能だが他職種には商品名(例:ガスター20)と分かれば胃の薬と想像できる。作用機序が胃粘膜のヒスタミン2受容体を遮断し、胃酸分泌を抑える胃・十二指腸などの潰瘍や胃炎、食道炎などの治療薬であり、副作用として発疹・皮疹、じん麻疹、顔面浮腫、便秘、月経不順、女性化乳房などに注意と知れば安心して対応できる。このように共通言語は開かれた言葉、専門用語は閉ざされた言葉とも言えるだろう。

 

十数年前、介護支援専門員として七十代独居男性を訪問した。机上の薬の束が目に入ったため確認するとアマリールという糖尿病の薬だ。本人は痛くも痒くもないから服薬しないと言う。薬名は方言だが共通語として学んでいたので薬剤師へ報告した。また、玄関の上がり框が厳しくなった八十代女性がいた。下肢の筋力低下だ。速やかに理学療法士へ連絡し、手すりの増設と機能訓練など対処して貰った。これらが連携である。その根幹にあるのが共通言語から得た知識である。

 

共通語とされている日本語にも方言がある。文法は同じだが薩摩と南部では外国語ほど異なる。多職種間でも同様の問題が生じる。そこで必要になるのが共通言語だ。閉ざされた方言である専門用語を開かれた共通語にするため互いに学び合う。

 

では俳句はどうだろうか。芭蕉が「いひおほせて何かある」と述べたように、敢えて正確さを消したところに文芸の誠が立ち上がる。共通言語では伝達し尽くせない意や情を俳句的言語で示す。読み手も詠み手の放つひかりを受信しようと試みる。これが鑑賞する行為であり座である。正確を重視する日常語と骨格のみを示す俳句用語は異なるといって良いだろう。

 

霜柱俳句は切字響きけり  石田波郷

俳句とからだ 176 すみれ

 

連載俳句と“からだ” 176

 

愛知 三島広志

 

すみれ

 すみれの花が舗道の隙間あちこちに咲いている。その生命力には驚きを隠せないが、何故そんなところに棲息しているのか。

その理由をわかり易く描いた『すみれとあり』(矢間芳子著 福音館書店刊)という子ども向けの絵本が読まれている。すみれの種子には蟻の好む物質が付着しており、蟻は種子を巣に運びその付着物だけを摂取した後廃棄する。こうしてすみれの種子は蟻によってあちこちに伝播される。この付着物はエライオソームと呼ばれ、すみれ以外にも多くの植物が分泌して蟻と共生していることがわかった。

 

 菫咲く連弾のさみしさに似て 

杉山久子

 

 すみれの語源は「墨入れ」からだと講談社刊『日本大歳時記』に書かれている。小学館刊『日本国語大辞典』にも「和名は『墨入れ』の略で、花の形が墨壺に似ているところから」と記されている。国語辞典編纂者飯間浩明氏によると墨入れ説を周知したのは著名な植物学者牧野富太郎とされている。『牧野日本植物図鑑』(1940)に「和名ハすみいれノ略ニシテ其花形大工ノ用ウル墨壺ニ似タル故云フナリ」とある(高知県立牧野植物園HPに完全掲載)。しかし先行する殿村常久著『千草の根ざし』(1830)などにも書かれているので、牧野はそれを拡散したということだ。

 はたしてこの「墨入れ」説は本当だろうか。万葉集に「春の野にすみれ摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜宿にける」という山部赤人の歌が掲載されている。万葉仮名では「須美礼」と書かれている。今日知られている墨入れと関わりなくすみれは古代から詠まれていたのだ。

 

野に伏して菫は頬に冷しと

岡田一実

 

牧野著『植物知識』(講談社1981)を所持していた。紛失していたが今回Kindleで無料入手できた。その親本である『四季の花と果実』(逓信省)1941年刊だ。冒頭の一節「花は、率直にいえば生殖器である」が知られている。この本のスミレの項目は長文にも関わらず意外なことに『牧野日本植物図鑑』に書かれた墨入れ説は書かれてはいない。。牧野は万葉の時代からすみれという名前があったのだから江戸時代に作られた今日の大工道具の墨入れとは異なると考えて『植物知識』には書かなかったのではないだろうか。私見だがむしろ江戸の大工が粋で墨入れをスミレの花の形に似せたのではないか。道具に拘る職人の美意識が今の墨入れを作ったとしか思えないのだ。

 

『植物知識』には冒頭の蟻の生態について詳しく説明されている。蟻の好む付着物は肉阜(カルンクル)と呼ぶそうだ。精密な自然の営みは昔から知られていたのだ。

 

いずれ皆絶える菫を愛でいたり

赤野四羽

2022/08/06

【俳句甲子園】全審査員を納得させた高校生の俳句


第10回の最優秀句は愛知県立幸田高等学校の清家由香里さんの

山頂に流星触れたのだろうか

は、文句なしの名句。
さらに同じ幸田高等学校の第17回最優秀句

湧き水は生きてゐる水桃洗ふ 大橋佳歩

この両句は記憶に残ります。

以前、俳句甲子園の審査員をしていましたからお二人とはお話しもしたことがあり
尚更印象的です。第17回は私も松山で終日審査員をしていました。

今年も俳句甲子園の季節となりました。
高校生の皆さん、悔いの無い大会を。