2023/11/08

俳句と“からだ” 194 『鈴木しづ子100句』


 戦後俳壇を駆け抜けた俳人鈴木しづ子の生涯はさまざまな伝説に包まれている。

 

 鈴木しづ子 俳人。生没年未詳。大正14(1925)14生れとも。戦時中は神奈川県川崎市の岡本製作所、戦後は東京府中の東芝に勤め、昭和23(1948)に職場結婚。一年余で離婚し、米軍基地周辺で働く。俳句は同18年から松村巨湫に師事し、『樹海』に拠る。句集『春雷』(21)、第二句集『指環』(27)には奔放な私生活を詠む句が多い。同28年、岐阜県各務原から失跡。「肉感に浸りひたるや熟れ柘榴」(村上 護) 俳文学大辞典(平成7年刊 角川書店) 註:『鈴木しづ子100句』には本名鈴木鎮子、1919(大正8)生とある。

 

 『鈴木しづ子100句』(黎明書房)は長年鈴木しづ子顕彰記念事業に関わっている武馬久仁裕と松永みよこによる新刊である。彼らはしづ子の俳句に纏いつく伝説を極力排除し、テキストに沿って解釈鑑賞しようと試みる。「はじめに」に「とかく、スキャンダラスな衣装をまとわされてきた彼女の俳句から、その衣装を取り去り、自由に読もうとするものです。(中略)その見事な言葉さばき(言葉の綾、レトリック)は、鈴木しづ子の俳句に、他の俳人とは違った不思議な輝きをもたらしています。自由に読むとは、彼女の俳句を書かれた通りに読むということです。」と書かれている。

 

 雪の夜を泪みられて涕きにけり

 

武馬はこの句の眼目は「雪の夜に」ではなく「雪の夜を」としたことだという。「に」では「泪みられて涕」くことが、「雪の夜の中の狭い一点にすぼんで」しまう。「雪の夜を」だと「涕く人を包む大きな雪の夜にな」ると説く。また「泪みられて涕きにけり」のひらがなは「なみだの粒」を文字の姿形で視覚的に示す表現法で、武馬は文字の形象化と呼んでいる。しづ子はひらがなを多用しているが、前衛俳句へ繋がる技法であるという。

 

 作品には作者の人生が否応なく投影される。芭蕉や山頭火などは寧ろその生涯と作品が密接に関係するところが評価される。俳句は短さゆえに署名があって完成するという考えもある。その反面、句の独立性を重視し作者と離れて句自体を鑑賞するという意見もある。武馬らは鈴木しづ子の俳句を伝説から切り離すことで真に作家としての実力を紐解いていこうと試みた。

 

雛まつるおほかたは父わからぬ子

 

この句に関して松永は「雛を飾っている子どもたちの多くに父親がいないのです」とそのままの解説をしたのち、史実から戦災混血児であることを述べている。周辺情報とテキストから丁寧に読まれることで鈴木しづ子の俳人としての存在に新たな価値を見出した本として推奨できる。

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