2023/11/09

俳句と“からだ” 199 歳時記 鮓 

 


俳句初学の頃、先輩から「馬手に歳時記、弓手に字引」と教えられた。ともかく小まめに歳時記と向き合い、辞書を引けという指導だ。

 

比較文学研究者前島志保氏の書評によると、東聖子・藤原マリ子編『国際歳時記における比較研究――浮遊する四季のことば』(笠間書院2011)において、歳時記には「①一年中の季節に応じた祭事、行事、自然現象など百般についての解説を記した書。②誹諧で、季語を四季順に整理、分類して解説した書物。季寄」の二種類があるとされている。また同書中の東聖子「『増山井』における詩的世界認識の方法」では、なぜ北村季吟・湖春親子の『増山井』が現代の歳時記スタンダードとなったのかについて論じられる。季吟が刊行した『山の井』が初めての独立した季寄せであり、「現代の歳時記の形式そのものである」として、「季吟が新文学の誹諧における〈俳言〉の重要性を認識していたことがわかる」と述べられている。中国と朝鮮半島には「①の意味での歳時記のみが存在している」ともある。

 

鮒鮓や三たび水打つ石暮れて

水原秋桜子

 

『俳文学大辞典』(角川書店)の「歳時記」の項に「歳時記の名称は本来、中国の『四民月令』『荊楚歳時記』など行事歴・生活歴に関する書」と書かれ、「詩歌の暦としての歳時記の先蹤としては、十世紀後半に成った『古今六帖』の歳時部が挙げられる」とある。俳句を作るとき参照するのは②に分類される歳時記であり、これは明確に「俳句歳時記」と称するべきではないだろうか。

 

 今月の季語は「鮓」を取り上げる。鮓は通年の食物だが季語としては夏に分類される。何故なら元来鮓は夏、鮒鮓のように魚の腹に飯を詰めて作る発酵食品だったからだ。近世以降特に関西では箱鮓(押し鮓)が一般化し、江戸後期には今日の主流である握り鮓が広まった。

 

鮒ずしや彦根が城に雲かかる  蕪村

 

季語は季節の客観的事物や事実のみならず人々に共通の歴史的・社会的認識も備えている。例えば鮒鮓は鮓実体を超えて近江の歴史や琵琶湖の波風を纏っている。さらに季語には作者個人の経験も絡みつく。句が鑑賞されるとき読み手の思いも重ねられる。字義通りに読んだとしても自ずから作者の表現を超えた読み手の世界が産まれる。私事ながら箱鮓は夏休みに母の里を訪れた時、祖母が必ず作ってくれたご馳走である。今でも箱鮓を食すと田舎の家を囲む山容や祖父母の面影、幼い自分の様子などが偲ばれる。

 

季語には(季語だけではないが)このように字義を超えた意味の伝達や状況の展開という可能性が秘められている。

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