2023/11/09

連俳句と“からだ” 197 『語りたい兜太 伝えたい兜太』

 

 董振華が聞き手と編集を担った『語りたい兜太 伝えたい兜太』(コールサック社)が上梓された。黒田杏子監修のもと、中国出身で日本在住の董が金子兜太に深く関わった13名へ行ったインタビューをまとめている。同社から再刊され話題を呼んだ『証言・昭和の俳句』(聞き手・編者黒田杏子)の形式を踏襲し、各人各様の兜太観が対談によって燻り出され興味深い。ぜひ一読を勧めたい。

 

 特に共感した部分を紹介しよう。

関悦史は「岡本太郎とか丹下健三とかみたいに昭和史と絡み合うように大成して、そのことで俳句の世界から外の世界への窓口になってしまい、それを引き受けていた」という見解を示している。たしかに金子は時代を引き受ける役割を担っていた。国会デモなどで使用された「アベ政治を許さない」という言葉。澤地久枝の発案で揮毫を依頼されたのが金子であることは俳句界では知られており、大胆な「一発書き」だと本人が述べている。

 

人体冷えて東北白い花盛り

 

 宮坂静生は「あなたによって俳句史は生きた人間の心の表現史に書き換えられた」として、「秩父の『山国の田舎っぺ』の兜太さんが土に培われた『美の型のようなもの』に俳句表現の源があると気づかれた」と述べている。この着眼点もこれからの俳句にとって欠かせないものとなるだろう。

 

 強し青年干潟に玉葱腐る日も

 

 筑紫磐井の話は戦後俳句史の講義のようだ。「金子さんの場合は(中略)同時代と競い合って生き残り、それから下の(稲畑)世代と競い合ってほぼ同じ時期まで生きて二世代分の活動をしたけれども、まさに活動をしながら亡くなった」と位置づけ、「誰も兜太の後を継げるような人はいないのではないか」としている。

 

 朝はじまる海へ突込む鴎の死

 

 最年少の神野紗希は「人間であり続けるということを選んだ人だったと思います。俳人である以前に、人間である。いや、俳人とは人間である。その当たり前の真実を、愚直に強く広く実践された作家でした」と64歳年長の金子を偲ぶ。

 

子馬が街を走っていたよ夜明けのこと

 

高山れおなの帯文は「我々の俳句は、これからも、なんどでも、この人から出発するだろう。(中略)李杜の国からやってきた朋が、これらの胸騒がせる言葉をひきだした」と核心を突いている。

 

他の証言も興味深いが字数の関係で紹介できない。改めて思う。畢竟、兜太とは語り尽くせない存在者なのだろうと。

(句は全て金子兜太作品)

0 件のコメント: