2023/11/08

俳句と“からだ” 196 賢治と米

 

「悦凱陣(よろこびがいじん)」は四国香川県琴平にある酒造の醸す銘酒である。ラベルを読むと原料米が「花巻亀の尾」とある。地名と米の名前から即座に宮澤賢治(18961933)が想起された。賢治の人生は稲と深く関わっていたからだ。

 

生きかはり死にかはりして打つ田かな

村上鬼城

 

1893年、山形の農民阿部亀治が、冷害で倒れた稲の中に3本だけ元気な稲穂を見つける。彼はそれを譲り受け4年かけて新品種を産み出す。これが「亀の尾」である。倒れ難く害虫に強く早く育つという利点がある。彼はこの種を無償で提供したため瞬く間に広がったという。現在人気のササニシキ、コシヒカリ、ひとめぼれ、あきたこまち、つや姫などのルーツである。今日、「亀の尾」自体は飯米ではなく酒米として人気がある。(山形県庄内町観光情報サイト参照)

 

その後、「亀の尾」は秋田県の農事試験場で「陸羽(りくう)20号」と交配され「陸羽132号」という米が生まれる。味の良好な「亀の尾」と冷害に強い「陸羽20号」の良いところを活かした品種だ。 (「農業共済新聞」より)

 

「亀の尾」と「陸羽132号」は宮澤賢治が農民のために無償で肥料設計をしていたとき推奨していた稲だ。詩「稲作挿話」には「君が自分で設計した/あの田もすつかり見て来たよ/陸羽百三十二号のはうね/あれはずゐぶん上手に行つた/肥えも少しもむらがないし/いかにも強く育つてゐる」と詠んでいる。

 

宮澤賢治は詩人・童話作家として知られる。同時に皆の幸福を願った社会活動家としても評価されているが、過大評価や毀誉褒貶もある。生まれた明治29年が明治三陸大津波、亡くなった昭和8年は昭和三陸大津波といういずれも東北大震災に匹敵する災害の年だった。1932(7)1934(9)は大凶作で、当時の貧困な農民達は食べることに困窮することも多かった。凶作に活躍したのが「陸羽132号」だ。早生で冷害を免れたのである。現在、秋田県の新政酒造はこの米を自家米として育て、賢治の思想を纏めた「農民藝術概論綱要」にちなんだ「農民藝術概論」という酒を造っている。

 

賢治の亡くなった1933(8)は豊作だった。賢治は917日から19日まで晴天の下で実施された鳥谷ヶ崎神社の祭を家の前で見た後、辞世となる歌を詠み21日、家族の見守る中で息を引き取った。37歳。その歌は生涯を象徴する稲への想いと豊作の喜びだった。

 

方十里稗貫のみかも稲熟れてみ祭三日そらはれわたる(稗貫は地名)

病のゆえにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし

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