2020/08/02

身体から見える景色 何故身体を問うのか

身体から見える景色 何故身体を問うのか


「身体から見える景色 何故身体を問うのか」は所属している俳句結社「藍生」の結社誌に毎月連載している「俳句とからだ」の集大成を書けと言われて100回を超えた頃に書いた文章だ。集大成のつもりだったが未だ連載は続き160回を超えている。

noteでは上手にイラストが入れられていない。慣れたら挿入を試みてみたい。

                              三島広志

一 出会った書物を通して

ポスト印象派の画家ゴーガンの大作に「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」という名画がある。このタイトルは極めて普遍的な疑問を呈しており誰もが若いとき、一度は思い詰めるものであろう。否、この自分探しを生涯追い求めながら迷いの人生を送る人も多いことだろう。

自分もまたそんな青年であった。ある時、偶然出会った書物からヒトは動物的ヒトとして生を受け、教育によって社会的・歴史的生物即ち人間になると学んだ。ヒトは教育によって人間になるのだ。人は霊長類の一種ヒトとして生まれ、成長過程で社会性と歴史性を学び人間になる。人間とは時間と空間、世間などを内包してそれらの関係性の中で生きていることを自覚した生物だ。こうして自然的ヒトが個としての人、そして環境に生きる人間となる。そこに動物や植物にはない人間独自の文化が創造される。同時に人は自分を教育する能力も持っていると考えた。そう、人は生まれてから死ぬまでヒトから人間になろうともがく過程的生物なのだ。刻々と変化しながら好きな方向を目指せば良い。それに気づいて以来生きることがとても楽になったのだった。

さらに畢竟身体という器が生の始まりから死の間際まで自分の存在の基本としてあり、精神はその器に乗ることで存在し、死とともに全ては消滅すると思い至った。むろんこれに反論する人も多いだろう。これらはあくまでも個人的見解だ。

 私自身、十代後半から二十代前半にかけて人並みに自分の存在の根底を求めて足掻いた時期があった。そして自分の人生は身体のある間のみ存在し、身体が極めて重要であると考え、何名かの同志を集め私塾のようなことを始めた。その時の趣意が以下である。今読めば若書きで気負いが溢れており些か気恥ずかしいが紹介しよう。

我々は生きていく限り<身体>の問題を通過する訳にはいかない。そしてそれは単に健康とか病気だけの問題でもない。

 なぜなら、すべての情報は<身体>によって感受(認識・自覚・勘等)、処理(判断・整理・選択等)され、あらゆる創造(活動・表現・技術等)は<身体>から発せられるからだ。即ち、我々の<身体>とは我々の<存在>そのものなのだ。  

 しかし、現実には我々の肉体は、社会という鋳型の中で精神の僕として隷属を強いられ、感性は鈍麻し頽廃し、心身は疲れ強ばり日常に漂流している。

 日常に埋没した自分に気付いたなら、この未知で、大切で、ままならない、いつかは捨てねばならない<身体>をじっくり見直し、親しく対話してみようではないか。

 否、むしろそんな<身体>に委ねきってしまうことで、もっともらしい権威やおかしな常識、偏った先入観等の束縛から解放されようではないか。それに応えるべく、<身体>は完全なる世界を体現しているのだ。

 そこから、活性の湧き出る身体と、自律性に富んだ生活と、共感性に包まれた環境(人と人・人と自然)を得て、健やかな個性の融合した生命共同体が築かれるのではないだろうか。

 何故か私は十代から柔道や少林寺拳法、合気道などの武術、さらに東洋医療の指圧や鍼に興味を抱き、学業とは別に施術の指導を受けに専門家の元へ通っていた。それは単に武術や健康法という意味だけではなく身体というものの摩訶不思議な魅力への関心だった。挙げ句、社会性や協調性の乏しい自分には会社勤めは無理と判断し、独立できる東洋医療の道へ進んだ。しかし、それは生業として口に糊するためだけとして選らんだのではなく、興味の対象の延長としての意味も大きかった。これは還暦を超えた今日でもさほど変わらず、結局生涯を書生として過程的に過渡期の存在として過ごしてきたことになる。

 およそ九年前、藍生俳句会の編集部から「俳句と健康について連載して欲しい」と手紙が届いた。それに対し「藍生俳句会には歴としたお医者さんが何人もおられるのでそれは私の任ではない、しかし、身体論ならある程度書けるかもしれない」と返答したところ、編集部から「それでいい」と言われ五里霧中の海に羅針盤も無いまま書き始めたのが「俳句とからだ」である。それがなんと百回を超えるまでの連載になった。これから書くことはおそらくそれらの総論となるだろう。そして当然それは編集部の目論見でもある。初めは若い頃出会った幾つかの書物を通して身体およびそれに纏わる事柄を書き綴ろう。

武道の理論

十八歳の時、弁証法で武道を解くという大言壮語にも思える本に出会った。これが南鄕継正著『武道の理論』である。この書で興味深かったことは「技には創出と使用がある」という技の弁証法的解釈だった。現象の中に弁証法性(矛盾、運動性)を見いだすことの重要性は学生時代に学んだマルクス経済学の基礎、「商品には価値と使用価値がある」に通底する。南鄕の技の解析もまさにそれと同構造だろうと関心を抱いた。

 マルクスの説は「商品」、たとえば萬年筆としよう、これには字を書くという使用価値と同時に五万円という交換価値があるということだ。つまり商品に本来の使用価値のみならず金銭的交換価値があるという二面を見いだすこと、これが弁証法なのだ。

 南鄕の「技の創出と使用」も同じだ。たとえば柔道の技に有名な背負い投げがある。これはヒトが生得的に持っている訳では無い。歴史の中で多くの人たちが命懸けで発明し今日に遺した伝統文化だ。この文化を有するのが人類の特徴となる。柔道を学ぶ者は背負い投げという歴史的文化を何百何千何万回と打ち込む鍛錬をすることで身体的技として作り出す。これが技の創出だ。次いでこれを乱取りや試合の中で使用する。相手は防御しつつさらに攻めてくる。その攻めをかいくぐりながら背負い投げを仕掛ける。これが技の使用だ。

 さらに南鄕は剣について述べる。剣は素人が手にしても十分に武器たり得る。刃先が相手にそっと触れるだけでも致命的だ。柔道の背負い投げはそれを技化するために膨大な努力を必要とする。しかし剣(剣の創出者は刀鍛冶)は手にしたとき構造的には背負い投げをマスターしたことと同じ域にいることになる。柔道で背負い投げを身につけ相手を投げることは、剣術で刀をひょいと振って相手に切りつけることと構造的には同じなのだ。したがって剣術は技の創出の部分を端折り、いきなり使用から稽古を始めればいいのだ。 

この解析に私は大変興奮した。さらに以前から別の書で知っていたことだが中国では昔から「技術」という言葉が作られている。その解釈に諸説あるが、私は「技は創出、術は使用」と理解している。「技」の中にある弁証法性はすでに「技・術」として分かっていたことなのだが、それを南鄕は見事に理論化した。これは二十歳前の私をいたく刺激したのだった。

武道では分かり難い面もあろうから、俳句に置換してみよう。俳句の五七五という形式は初めから与えられている技としての器、つまり刀と同じだ。牽強付会に思えるだろうが、俳人は何も考えずともことばを五七五という形式に載せればその出来栄えは別にして、とりあえず俳句になる。これが自由詩なら詩人は初心者が背負い投げを身につけると同様に、ことばに適合した表現形式を苦闘しながら創出しなければならい。俳句が入門しやすい文芸である所以の一つがこれであろう。むろん困難なのはそこから先であることは言を待たない。短歌や俳句の形式は歴史的に創出された技という踏み台だ。詠み手は初めからその上に立って歌や句を創出できるという恵まれた立場にあるということだ。これは俳句が海外にも広がっていった理由でもある。

極意

 そのあと手にしたのは坪井繁幸(現、香譲)の『極意』とう本だった。これは各界の優れた人を取材して「意を極めるとは如何なることか、極められた意とはなにか」を追求した本だ。坪井は傑出した人たちとの出会いを通じて天才的な人たちに共通する法則性を見いだす。彼が出会った人たちとは著名なスポーツ選手や武道家、演奏家や舞踊家、教育家や宗教家、さらには無名だが優れた職人などだ。坪井は天才的な人は皆、身体に対する意識や感覚が突出しているというのだ。そうした身体の中の共通性を彼は「身体の文法」と名付けた。優れた人たちの身体運用や身体意識には現象面は異なっていても内面に共通した構造があると洞察したのだ。

例えば釣りとバイオリン演奏のように現象面は全く異なっていても、それぞれの身体の中の微妙な動きや意識操作、周囲から伝わる感覚に対して開かれた身体。そこに通底する本質的な何かがある。つまりものごとには普遍的本質があるということだ。しかし、その本質を見いだすことは簡単では無い。

坪井とは二十代の一時期かなり濃密に交流した。今思い返すと、坪井の著書と本人との出会いは私の人生に相当大きな影響を与えたと言わざるを得ない。

経絡と指圧

高校生の頃、テレビの影響で指圧ブームであった。浪越徳治郎というタレント性のある指圧師が巻き起こしたものだ。彼の弟子の一人に増永静人がいた。増永は旧帝大で心理学を修め、卒業後、浪越の日本指圧学校に入って指圧の勉強をした。浪越にその才能を見込まれた増永は卒後そのまま教師として十年ほど教壇に立った後、理想の指圧を目指すため独立して多くの本を著した。私は高校生の時その著書『家庭でできる指圧』を手にして驚嘆した。多くの健康法の本はこの症状にはこのツボを押さえると治る、あるいはこれを食べれば健康になるという一対一対応の教条的な素人向けの本が多い。

増永の本(代表として『経絡と指圧』)はそれらとは一線を画していた。概論として「命とは何か、生きるとはどういうことか」と問い、そこから健康や病気、医療、さらには如何に生きるかを考えようとしていたのだ。そして冒頭から身体が存在するために不可欠の環境と命の関係を強調した。これは彼が心理学を学んだことによるだろう。身体は身体としてのみ存在する訳ではない。身体は環境にある素材を元に形成され、環境から必要なものを取り込み、不要なものを排泄しながら維持されている。この関係性の瓦解が身体の存在を危うくするのだ。これは中国古来の哲学で漢方医療の基礎ともなる「天人合一」に酷似した考えだ。

私たちは誰でも健康が大切であると思っている。それは間違いではない。病気になったとき健康のありがたさを思い知る。しかし健康は目的ではない。冒頭に述べたように私たちは多かれ少なかれ否応なく自分が生まれてきた理由や生きていく意味を問い求めている。自分自身の価値を見いだし精一杯人生を送ろうと考える。そのとき人それぞれのレベルでの健康が必要となる。決して健康のために生きているわけではないのだ。生まれつき障碍のある人、何らかの持病がある人、ある日忽然と倒れ後遺症に苦しむ人。人には避けられない宿命のような有り様がある。それぞれの有り様の中で健康は有り難いのだ。健康を失ったとき人は自分の身体に思いを寄せざるを得ない。これは負の身体観だ。それぞれの人がそれぞれの有り様の中で前向きに生きようとする時、正の身体観が発生する。身体を問うと言うことは正負両方を包括して考えるということになる。

増永は指圧を現代医学的基礎と心理学的素養、そして漢方的哲学で追求しようとした。そのとき重要視したのが経絡という中国古来の身体観だ。全身を縦に貫く十二本のスジ。解剖学的には見いだすことが不可能だが機能的あるいは感覚的には存在を確信できる経絡を東西医療および精神と肉体との架け橋として生涯研究をした。志半ばで夭折したがその思想は今日も読み継がれている。

イラスト【経絡図】

ある講習のとき増永の言った言葉がとても印象的である。

「患者さんは私たち治療師が腰痛になったり病気を患うと不思議がる。先生でも腰が痛くなるのですか?病気をされるのですか?と。しかし考えて欲しい。痛みも病も知らない、死ぬことも無いロボットのような治療師に患者の苦しみや悲しみが共感できるだろうか。弱く儚い命を共有しているからこそ治療師は患者の苦しみに共感し治療に当たれる。死の恐ろしさに涙する。頑健で鈍感な人の痛みや苦しみ、死の恐怖が理解できないような治療師に治療されて患者は嬉しいだろうか」

同じようなことは著書にも書かれてあるが、このときの師の声や表情は四十年近く経た今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。

精神としての身体

 市川浩著『精神と身体』は「人間的現実を、心身合一においてはたらく具体的身体の基底から、一貫して理解することをめざす」という身体論の名著だ。中でも一番興味を引いたのは自己中心化と脱中心化だった。著書から引くと

「われわれは生きているかぎり多かれ少なかれ自己に中心化しているわけですが、その自己中心化と、他者の側に身をおいてみる脱中心化、そして脱中心化を経由した再中心化という形で自己意識と他者意識が次第にふかまってゆく」

となる。こうした身体は十九世紀以降復権したもので、それまでは身体は精神に隷属した存在とされていた。

 私たちは自分の身体を主体として理解すると同時に客体として対象化している。これは社会生活を送る大人にとって当たり前のことである。こうして人は身体を通して他社との関係性を学び、社会生活を送っているのである。

二 創造される身体

オフィスの近くにバレエスタジオがある。そこへ通う少女たちは一目で分かる。頭に独特のおだんごのシニヨンを作っているからだ。しかしそれだけではない。皆スレンダーで背筋が伸びセンターが天地を貫いている。バレエのように重力を超越したダンスを踊るため幼い時から激しい身体訓練を行い、そのための生活を送っているのでバレエ体が形成されるのだ。同じく近くにヒップポップのダンススタジオもある。ここに集う少女たちも独特の雰囲気を醸し出している。バレエは身体のセンターを見事に鍛え上げ垂直の美しい超日常的体躯を形成するが、ヒップホップは身体を日常の動作では有り得ない非日常的に操作する。あたかも日常に逆らう反権力のように。これはブレイクダンスと呼ばれるものである。実際そのダンスの発生は不良の暴力バトルの代替としてのダンスバトルが元になっている。これらは決して無関係では無いだろう。

このように身体は幼い少女でさえ目的的に創出される。その極限とも言える創出体が力士だろう。力士は行住坐臥全てを相撲のために費やす。眠ること、食べること、衣装、履物、もちろん稽古もそうだ。彼らは日常の全てを非日常的な相撲社会に置き、非日常の生活を彼らにとっての日常とすることで生活体を相撲体に作り上げる。意識も身体と直接して力士として成長する。これは能や歌舞伎の家に生まれた子が生活全体を芸のために捧げながら一流の役者として成長していくことと同じ構造である。

私たちは生物体として生まれ、日常社会に生きる生活体を創出する。これは日常的なことだ。それがバレエや相撲などの芸のための特殊体に創出される。スポーツ選手の身体が競技ごとに異なることはそのいい例だ。レスリングと水泳、短距離走と長距離走などあきらかにそれぞれの競技向きの身体に作り上げられている。バレーボールやバスケットボールのように初めから背が高い方が有利という競技は生得的身体そのものが武器になっている部分も多いが、体重性で生得的利点を平等に制限しているスポーツ、例えばボクシングでは明らかに創出された身体が平等な土俵の上で競う状況が見られる。これもまた立派な文化であり、ボクサーは自らを文化的身体として創出した結果をリングの上で表現しているのだ。

拡大縮小する身体

イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが筆名ルイス・キャロルとして著した『不思議の国のアリス』は作者の友人リデル氏の娘たち、とりわけお気に入りのアリスのために彼女を主人公として書いたファンタジーだ。作品の中でアリスは薬やケーキを食べるごとに身体が拡大したり縮小したりする。また、アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』は小人国リリパットや巨人国ブロブディンナグに漂着する。アリスは自分が巨大化したり縮小したりするが、ガリヴァーは周囲が小人になったり巨人なったりすることで自分の身体が拡大したり縮小したりと錯覚する。いずれにしても自分の身体が規格外れになるという設定だ。

現実に身体がサイズを変えることはあり得ないが、測定値百七十センチの人が感覚的に大きくなったり小さくなったりする体験は誰にもあるだろう。ガリヴァーのように環境が変化する場合もあればアリスのように自分自身の思いが身体を拡大したり縮小したりする状況を生み出すこともある。そのときの身体感覚は非日常のものとして新鮮なものであろう。例えば広々とした高原で深呼吸する時、身体は向かいの山に対峙するほど大きいと感じたり、蟻の行動を観察する時は蟻のように小さくなったりする。皮膚に包まれた身体のサイズは同じだが感覚としての身体は自在に拡大縮小するのだ。

また感覚だけではない。以前、若者の間で花魁道中のような上げ底靴が流行ったことがある。社会の目は批判的だったがある板前さんは「調理場で高下駄を履いているが目線が高くなって気持ちが変わるよ、若者の気持ちも分かる」と教えてくれた。同様に駅のホームや電車内にしゃがみ込む迷惑な若者も多くいた。これも実際にやってみると「社会が違って見える」とある学者が体験を書いていた。身体状況が変われば見える世界も変わる。身体と環境は互いに影響し合う相対的関係だからだ。

延長と同化

鍼師は患者に鍼を用いて治療行為を行う。だが鍼を刺す前の段階がある。患者を見て、気持ちで包み、近くに寄り添い、気持ちに即して患者の皮膚に手で触れる。実際に触れる前に気持ちで触れるのだ。そしてその後初めて手で押したり擦ったりしてツボと呼ばれるポイントを見つけ、やっとツボに鍼を刺入する。指で圧すれば指圧となる。鍼師にとって鍼は身体と同化し延長した道具だ。これは鍼師に限ったことではない。板前と包丁、理容師と鋏や髭剃り、事務員とキーボード、運転手とハンドル(自動車)。いずれも身体と道具が同化し、身体の延長としての道具と化している。

リアルな身体と観念としての身体

 ここに奇妙な解剖図がある。漢方医学の古典に書かれている図だ。

イラスト【漢方解剖図】

そこへオランダからターヘル・アナトミアという解剖書が入ってきた。ドイツで1722年に初版、日本へはオランダ語版(1734年出版)が1770年には入っている。

イラスト【ターヘル・アナトミア】

これらの図から何が分かるか。おそらく漢方は現象や機能を観察することを重要視し、実態はあまり気にしなかったということだ。つまり実際の身体では無く現象として顕れる観念としての身体を観ていたのだ。

季語と季題

 季語は季節を表す具体的な季物を示す。それに対して季題は歴史的美意識を纏っている季節の題目であるとされる。それはリアルな季物と季物が受け継いできた観念としての季節感の違いとなる。これは先ほどのリアルな身体と観念としての身体と相似すると考える。私たちは本当の物を観ることは実は大変難しく、リアルな物と観念とが重なり合ってしか現象を観ることが出来ないのだ。宮澤賢治の詩「春と修羅」には次の一節がある。

   (前略)

草地の黄金をすぎてくるもの

ことなくひとのかたちのもの

けらをまとひおれを見るその農夫

ほんたうにおれが見えるのか

まばゆい気圏の海のそこに

  (後略)

「ほんたうにおれが見えるのか」とは賢治の生涯に亘って抱えてきた疑問だがその軽重は別にして誰もが抱く問題でもある。観る側にしても観られる側にしても。

 私たちは身体を見ていて実は見ていない。これが様々な疑問の根底に通底している。人体そのものを精神から分離して客観的に、即物的に見ようとするデカルトの心身二元論が生まれてくる必然はそこにあったのだ。

冒頭のゴーガンの「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」この設問自体、本当のわれわれを見ようとしているのかは疑問であり、画家が画家の目で主観的に見ることに留まっていると思われる。むしろそれだからポスト印象派なのだ。

心身二元論は科学を科学たらしめるため登場したが、それとて決して人を幸せにするものではない。私たちは生物として客観的に見える身体と直接して創造的文化的身体を有し、その有り様に振り回されながら生きている。これは科学がどんなに正しいと言ってもそれのみを肯え無い人間の性なのだ。

宮澤賢治に『月天子』という詩がある。その一節を紹介してこの稿を終えよう。

  (前略)

もしそれ人とは人のからだのことであると

さういふならば誤りであるやうに

さりとて人は

からだと心であるといふならば

これも誤りであるやうに

さりとて人は心であるといふならば

また誤りであるやうに

(後略)

あとがき

 「健康は身体を意識しない状態だ」という意見がある。確かに私たちは普段は身体のことを忘れている。肩がこる、腰が痛い、膝が曲がらない、おなかが張る、頭が割れそうなどの症状が出てはじめて身体への意識が生じることが多い。つまり健康ではないときに身体の各部位や全体の重だるさなどを感じるのだ。

病気でなければ自発的にスポーツをするとき、心臓の動悸や激しい息づかい、軋む筋肉の悲鳴などで身体を意識することもあるだろう。スポーツと同様肉体労働に従事する人は常に身体と一緒に仕事をする意識を持っている。

現代の生活は様々な道具や機械によって環境を住みやすく安定させたため身体への意識は薄らいでいる。暑さや寒さからの影響も従来とは比較にならない。身体への意識が希薄になるとき、それを郷愁のように深奥から呼び覚ますのがセックスや酒、嗜好としての食や身を揺さぶる音楽だろう。ジョギングなどのスポーツも同様だ。

こちらから身体に働きかけずとも身体の側から意識させるのが病気や障碍なのだ。その時健康はありがたい、普通に生活できる身体は道具として実に有り難いものだと理解する。

 では冒頭に述べた「健康は身体を意識しない状態だ」は本当だろうか。この稿で貫いてきた考えはその小さな身体観からの脱出を意味している。身体は自己存在そのものなのだ。「身体は動物として存在すると同時に文化である」と書いた。私たちは生涯を通して自らの身体を文化的に創造する。文化が身体を通して育まれてきたように己の身体自体を文化として所有しているのだ。

 私はこの原稿である程度身体に対する思いを整理しようと考えた。九年に亘って書いてきたことを俯瞰してそれなりの道標が出来るのだろうと軽く思っていた。しかし、書けば書くほど迷宮に彷徨い、出口が見つからなくなってしまった。結局、若い時愛読し、実弟清六氏の家まで訪ねた宮澤賢治にすがることになってしまった。

 畢竟身体は蜃気楼のように追えば逃げてしまう存在なのだろう。浅学非才が追っても炎天の逃げ水さながら永遠に掴むことは困難なものだ。安直だが、だからこそ人生は豊かに楽しめるものとしてこの稿を閉じることにしよう。

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