2020/08/25

今野義孝著 『癒し』のボディ・ワーク(学苑社)

 1997年9月に書いた書評です。

今野義孝著 『癒し』のボディ・ワーク(学苑社)

 20年来身体のことにかかわってきた私にとってとても興味深い本「『癒し』のボディ・ワーク(学苑社)」。著者は長年障害児の動作法などを身体運動と心理の両面から研究実践してこられた今野義孝先生。現在は(出版当時は)文教大学教育学部教授。専攻は、障害者心理学、臨床心理学、健康心理学。

 今野先生の「『癒し』のボディー・ワーク」は東洋の手技療法の研究をしてきた者にとってはその一般論的な有効性を実験検証的に証明してくれているというありがたい本です。「まえがき」の今野先生の心情吐露は学者として画期的なもので、そこまで内省的な思いを研究者が表明していいのだろうかと心配になるほどのものですが、クライアントの立場に立てばこれほど素晴らしい先生は滅多にいないだろうという感動的なものです。

 意訳抄出すれば

 「自分の発見した『腕あげ動作コントロール訓練』という動作法は、それまでの脳性まひの身体動作の援助を中心とした指導法から、こころの動きの援助する方法へと飛躍を遂げた。身体とこころの調和的な体験を援助することが自己活動の再体制化をもたらすことをあたらめて確信できた。
 しかし大きな不安が渦巻いてきた。それは『腕あげ動作コントロール訓練』はクライアントへの一方的な指導・訓練的なかかわりが中心で、真のコミュニケーションを欠いていたのではないだろうか。今にして思えば、私は功名心のとりこになり、自分が他者によって生かされているということや他者の存在の大切さを忘れていたのである。

 そうして辿りついたのが『とけあう体験の援助』である。これは『指導者・クライアント』や『援助者・被援助者』といった主従の対立的な関係を乗り越え、快適な心身の体験を互いに共有することによって真のコミュニケーション関係の確立を目指すものである。つまり、『指導者による一方的なかかわりから、相手との相互のかかわり合いへという視点』や『相手を対象化した客観的理解から、相互のかかわり合いによる間主観的な理解へという視点』が基調になった」

と言われています。

 ご自身の成果を大転換してさらに成長して行こうという態度が率直に書かれていて極めて好感と信頼を感じる文章です。その根底にあるのは学者・研究者としての態度ではなく、障害者にかかわって指導すると同時に学び、その成果を自らと障害者で分かち合い、さらなる発展を共に目指そうという姿勢からくるものでしょう。

 今野先生がこうした大きな変化の渦中にいる間に出会ったものに、ボディー・ワークと東洋的な行法があります。

 おなじく「まえがき」に

「それらに共通すること。ひとつは自分自身の身体の体験に浸り、味わうことによって自分のこころを捉え直すこと。もうひとつは集団で互いに援助しあうことによって、身体の体験やよこに漂う雰囲気を共有することができること。これは『他者とともに存在し、他者とともに癒される』ということであり、個人のレベルや自-他の境を越えた癒しの世界につながる。
 援助を受ける人も援助をする人も互いに癒される関係にあることこそが、“健常者”と“障害者”の違いを越えた真の“共生”の実現につながるということである」

とあります。

 この場合の“障害者”や“健常者”は字面だけでとらえることなく、ひとつの比喩として大きく“何らかの基準によって区別される者”と受け取った方がいいでしょうね。

 さて、この本のうれしいことはもう一つあります。それは私が直接講習会に出て指導を受けた人や縁あって出会った人、あるいは直接の出会いは無いものの書かれた本に深く親しんだ人の研究が多く掲載されていることです。今までこうした学術的な本にはなかったことで、大変驚くと同時に喜んでいます。多少なりとも縁のある人を紹介しましょう。それがある程度この本の内容の紹介にもなるでしょう。

 原口芳明先生は15年くらい前でしょうか、気流法(身体技法のひとつ。坪井香譲師提唱)の名古屋セミナーに何回も参加しておられて知り合いました。障害者教育のために裾野を拡げて貪欲に研究されておられた方です。現在(当時)愛知教育大学の教授。障害者を持つ親から絶大な信頼を集めておられます。この本には「『さわる』ことは相手をモノとして扱うことであるのに対して、『ふれる』ということは人格をもった相手への働きかけである」という意見が紹介されています。

 増永静人先生は私の指圧の先生。亡くなって15・6年経ちます。「指圧の時、相手を指導者に持たれかけさせ、指導者も相手にもたれてゆくとき、それがもちつもたれつの状態である。これが生命的一体感の状態である」と引用してあります。

 西村弁作先生は言語療法の大家。直接お会いしたのは一度だけです。西村先生の奥さんは優秀な心理療法士でしたが数年前48歳で亡くなられました。西村先生とは彼女の亡くなる数日前にお見舞いに行き、病室でお会いしただけなのです。夫人とは神経難病ALSの患者を協動で担当したことがありました。彼女が心理面を私が身体面を主に受け持っていたのです。
 亡くなる数日前、彼女をマッサージしました。「寝たままで腰が痛いでしょう。マッサージして上げるから横向きになってよ」と言いましたら、「三島先生の名人芸を見せて頂戴」と冗談を言いながら腹水の溜まった体をさっと横向きにされたのを昨日のことのように覚えています。

 野口晴哉(はるちか)さんは有名な野口整体の創始者。今日の民間医療の思想的な面で多大な功績を遺しています。明治以降、民間医療界最大の巨人と呼んでも差し支えないでしょう。私が整体協会へ勉強に行ったとき既に鬼籍の人で、息子さんが指導していました。無意識運動を発現させる「活元運動」と手のひらからの「気」を送るという「愉気法(ゆきほう)」は有名ですがフロイトやユングを彷彿させる自在な人間観察は見事なもの。生前、作家の間で大変な信頼を得ていました。

 野口三千三(みちぞう)先生。野口体操、別名コンニャク体操で知られています。長く東京藝術大学で体操の教授をしておられました。「からだは水の詰まった革袋である」という持論からなるユニークな体操です。増永静人先生とも親交がありました。藝大の演奏家の卵たちは、授業でコンニャクのようなくねくね体操をさせられて、「なんじゃこれは」と無為な時間を過ごしていたのですが、一人前になって、特に体の無理がきかなくなって演奏に行き詰まったとき、無性にこの体操が懐かしくなるそうです。

 高岡英夫さんは今日、武道やスポーツ界で最も精力的に活動しておられる方の一人。ただし、権力や権威からは最も遠い存在での活動です。東大大学院で運動科学を修めた後、野に下って今は自ら興した運動科学研究所所長。ご自身武道家でもあります。現在、武道・スポーツの分野だけでなく音楽家や舞踏家などさまざまな人が氏の指導を受けています。この本には著書「身体調整の人間学」の一説が紹介されています。
「世界はそれ自体では意味のあるものではなく、主体によって意味づけられるものである。そのときの主体とは、意識以前の主体、すなわち身体的実存である。(中略)空間を意味づけているのは身体の『運動性』である」

 竹内敏晴教授は名古屋の南山短大の教授(当時)。主として演劇を身体と言語の表現の場として教育されています。故林竹二先生と同行の教育活動でも知られています。林竹二先生のことは昔《游氣風信》に書きました。竹内さんの「ことばが闢かれるとき」は感動的な本でした。

 以上のようにアカデミズムの方も市井の方も同じ土俵に上げて説かれている点でも「『癒し』のボディ・ワーク(今野義孝)」はユニークな本です。学苑社刊、3800円(現在AMAZONで中古ですが購入できます)

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