2020/08/16

忘れられない贈り物

 1994.2

忘れられない贈り物

 絵本は子供のための本でしょうか。

 
 明らかに子供を読者と意識して書かれた本もありますが、良質の絵本はむしろ大人
をより引き付けるものです。そうでない本は子供に媚びていて子供から敬遠されるか
その場限りの読み捨て本になってしまいます。 


 親の情というのか、子供時代に読んだ質の高い絵本を自分の子供に読ませたくなる
ものです。現実に親子二代で愛読するに耐える絵本も実に多いのです。

 「どろんこハリー」(ジオン著 グレアム絵 わたなべしげお訳 1956年)という
イギリスの絵本があります。これは洗われるのが大嫌いなハリーという白黒のブチ犬
の物語です。

 
 洗われるのが嫌なハリーは風呂のブラシを隠した後、町中を駆け回ってどろんこに
なって帰宅しますがあまりの汚さにハリーと気付いてもらえません。芸をしても駄目。
そこで隠したブラシをくわえて風呂に飛び込みます。家族がきれいに洗ったところど
ろんこ犬が実はハリーと分かって子供も犬のハリーも大喜びという他愛ない話です。

 「ハリーだ。ハリーだ。やっぱりハリーだ。」というところに差しかかると子供達
は何度でも嬉しがって、もう一度最初から読んでくれとせがむのです。
 案外元は風呂嫌いの子供に読み聞かせる教養絵本だったのかも知れませんが、その
生き生きと駆け回る楽しげなハリーの絵が子供にとても人気がありロングセラーになっ
ています。

 イエラ・マリの「あかいふうせん (1976年)」という絵本は上質のイラスト集と呼
べるもので、文章は一切ありません。色も赤と白だけ。風船ガムがリンゴの実、ちょ
うちょ、傘に変化していく絵によるストーリーです。言葉が無いからよけいにイメー
ジが広がっていきます。同じ作者の「りんごとちょう」も優れた作品です。さすがイ
タリアという芸術性ですが、子供にはあまり人気がありませんでした。

 レイモンド・ブリッグスの「さむがりやのサンタ (1974)」ウクライナ民話「て
ぶくろ (1950年)」
岸田衿子の「かばくん (1962年)」なども人気作品でしょう。

 いつも苦虫をかんでいる不機嫌なサンタクロースの作品全体から醸し出されるユー
モアはイギリスならではのもの、「てぶくろ」は落ちている手袋の中にねずみやかえ
る、うさぎやきつね、おおかみ、いのしし、果ては熊までが入って一緒に生活すると
いう荒唐無稽さが愉快です。何回繰り返して読まされたか分かりません。「かばくん」
は日本語の美しさをたっぷり感じさせてくれます。

 そんな中で評論社から出ているスーザン・バーレイ(イギリス)の「わすれられな
いおくりもの (1984年)」
こそはそれこそ忘れられない絵本です。
 内容の深さと控えめな文章、著者自身による温かい絵が子供だけでなく広く大人ま
で考えさせるだけの問題意識をはらんでいて、決して読者におもねっていません。
 テーマは死です。そして支え合って生きることと伝え合って生きることの素晴らし
さです。 


 ストーリーは年老いたアナグマとその仲間の交流を通して死と別離とその克服につ
いて著者自身の考えを物語として決して押し付けないよう十分な配慮の上で展開して
いきます。 


 冒頭はアナグマの老いの自覚と受容で始まります。そして死。
 森の仲間はアナグマの遺書「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナ
グマより」を読んでとても悲しみますが、それをどうやって克服して行くのでしょう。

 モグラはアナグマからはさみの使い方を習い、紙を切ってさまざまな形を表せるよ
うになったことを思い出します。カエルはスケートをアナグマから親切に教わりまし
た。キツネはネクタイの結び方、ウサギはパンの作り方をそれぞれアナグマから習い、
皆自分なりの工夫までできるようになったのです。

 「みんなだれにも、なにかしら、アナグマの思い出がありました。アナグマは、ひ
とりひとりに、別れたあとでも、たからものとなるような、ちえやくふうを残してく
れたのです。みんなはそれで、たがいに助けあうこともできました。」

 このように仲間たちはアナグマの思い出を語り合い、学んだことを自分なりに工夫
発展させることで助け合いながら寂しさを克服していったのです。

 技術や知識などは楽しい思い出とともに世代と集団を越えた共通財産として伝達・
普遍化さらには発展していくものです。私たちの暮らしはこうした親から子へ、大人
から子供へ、教師から生徒へ、師から弟子へとずっと受け継がれてきた結果で成立し
ているものでしょう。

 人間は肉体として皮膚の中だけに存在しているのではなく、皮膚をはみ出して広く
人々の心の中に思い出としても生きているのです。ですから本当の死は人々のこころ
から忘れ去られたときを言うのだと思います。

 「わすれられないおくりもの」は優しい絵本の形式を用いてそれらのことを子供に
もさりげなく考えさせてくれますし、大人が読めば胸中深くさざ波が立つことでしょ
う。

 一番の驚きはなんとこの本、小学生低学年向けの課題図書だったのです。わたしは
こと課題図書に関してはつまらない本が多すぎると思っていたのですが、これは別格。
文部省侮るべからずと感心したものでした。今から6・7年前のことです。

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