2020/08/03

現代の俳句2  〈冬野の真中〉 平井照敏

現代の俳句2  〈冬野の真中〉


平井照敏論

現代の俳句2  〈冬野の真中〉

三島広志

 そもそも「現代の俳句」とは何だろう。今という時代を詠む俳句ということなら、政治や経済、福祉や女性の自立など今日の日本が抱えているさまざまな問題をテーマにすることになろうがそうした社会性俳句は現代の俳句にはあまり見当たらない。

 私たちは誰彼を問わず毎日を現実の社会の中で必死に生きている。その社会から影響を受けている日々の心象を俳句という形式と素材を借りて表現しているのが今日を生きている私たちの「現代の俳句」なのだから敢えて社会的な問題を俳句には直接表現しなくてもいいのではないかとも考えられる。
 時代を超えた人々の意識下に存在するものを俳句として表現されたものがその時代の〈現代の俳句〉ではないかと思うのである。

 芭蕉による俳諧の芸術革命から子規による俳句革命の流れに続いて、新傾向俳句、新興俳句、人間探求派、前衛俳句、社会性俳句などを経て今日の俳句があるが、ことばで表現された俳句の深奥にはそれぞれの時代の滔々たる流れがあって、それが作者の意識とことばを通じて俳句になっている。それがその時代における〈現代の俳句〉なのだろう。時代に書かされた俳句と言ってもよい。

 こうした俳句の歴史の中に「詩」と「俳」という二つの対立する因子を見いだして、そこに弁証法性(二つの因子が対立することで互いに影響を与えながら発展する力を内在している性質)を認めることで極めてダイナミックに俳句の歴史を捕らえることに成功した評論家・俳人に平井照敏(昭和六年生)がいる。

 彼は加藤楸邨に師事し「寒雷」編集長を経て、現在「槇」を創刊主宰している。
 照敏によれば「俳」は「伝統、守旧、俳句性」、「詩」は「文学、芸術などを含む。
俳句を新しいものに変えようとする欲求」ということになる。
 照敏の説を大雑把に紹介すると、芭蕉は「詩・俳」二つの因子を合わせ持ち、蕪村は「詩」的傾向、一茶は「俳」の実践、子規は「俳・詩」のバランスの取れた革新者、碧梧桐は「詩」を求めて猛進し自己分裂したが後のさまざまな俳句運動の萌芽となり、虚子は碧梧桐の動きを危惧して「俳」を守りながら大衆化を歩んだ。その停滞から秋
桜子が「詩」を指向して飛び出して新興俳句や人間探求派の端緒となったという具合に俳句史の大きなうねりを読み取り、戦後の前衛俳句や社会性俳句の「詩」傾向から澄雄や龍太による「俳」への復権を経て今日に至っているとする。

 さらにテーマも時代とともに変わり、自然の時代から人間、社会ときて、今後はことばによることばの俳句の時代へ展開していくのではないかと予見している。

 照敏の説に相似したものとして山本健吉は名著「現代俳句」で

  子規説の発展の上に碧梧桐はさらに伝統破壊と写生徹底の説を繰りひろげたが、虚子は伝統尊重の上に趣  向の調和を求めた。

と慧眼ぶりを示している。また、照敏編の「現代の俳句」に自ら記しているように復本一郎の近世俳諧を反和歌と親和歌の二因子による展開とらえる史観もあるという。
 照敏はフランス文学ことに詩の研究を専門とし、詩人としてスタートしたのち、楸邨と職場を共にした縁で俳句の研究に没頭した。

  吹き過ぎぬ割りし卵を青嵐  照敏
  雲雀落ち天に金粉残りけり  照敏
  リヤ王の蟇のどんでん返しかな  照敏

 初期の作品である。本来なら「青嵐割りし卵を吹き過ぎぬ」と素直に詠むべきところだろうが複雑に倒置させるところに、若き詩人としてことばに語らせようとする意志が感じられる。さらに雲雀の残像に金粉を幻視したり、蟇の転倒にリア王の悲劇を連想したりと、若き照敏の詩の技法を大胆に俳句に取り込む意気込みが伺われる。こ
うしたところに「詩」と「俳」の責めぎ合いが照敏自身の中にも起きていると読み取ることが可能だ。

  いつの日も冬野の真中帰り来る  照敏
  藍の布ひろがりひろがり秋の風  照敏
  春の闇うしろの顔が笑ひ出す  照敏

 句のうわべから作為が抜けた作品には、見える世界と見えない世界がひたと重なり合って、世界の裏側が沈黙のうちに仄(かす)かに仄(ほの)めいているようだ。
 昭和五十八年から約二年間、わたしは「槇」にお世話になった。

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