2020/08/02

切磋と情け 句会メディア空間

切磋と情けーー句会メディア空間


切磋と情 

--句会・俳句メディア空間--

随分以前に所属結社「藍生」誌に書いた句会論です。

三島広志

始めに
 世間には俳句という無用のものを作る人達がいる。
 なぜ俳句を作るかここでは問うまい。同様に、なぜ俳句でなければならないかも。

 それらはすでに本誌の拙稿「俳句と志-遊びと人格をからめて-(平成六年十一月号)」や「現代の俳句(平成七年一年間連載)」で断片的に私見を述べた。したがってこの稿ではすでに俳句を作ることを当然のように生活にしみ込ませ、時々、あるいは定期的に句会へ参加する人達について語ろうと思う。すなわち「人はなぜ俳句を作るか」ではなく、「人はなぜ句会に参加するか」である。

地方にいて
 わたしは主宰からの直接指導かなわぬ地方愛知にあって藍生俳句会に入会した。しばらくして句会という研鑽の場が経験したくなり他結社の句会に参加した。そのうち藍生の支部活動の存在を知り、愛知会員による句会を提唱、毎月の例会を仲間と共にした四年間という貴重な体験を持つ。
 この体験について振り返ることで、その中からなんらかの普遍的なものを見いだせるなら、藍生愛知支部「からふね句会」という閉ざされた空間での体験を、もっと多くの人々の共通の経験に転化することができるかもしれない。
 これがこの稿で句会を取り上げる所以である。

芭蕉の座
 専門の研究者ではないため、句会がいつから行われているかは知らない。ただ古くからの和歌の歌会に対して俳諧の句会が行われていたことは確かだろう。たとえ句会と呼ばなくとも正岡子規以前から俳諧のための集まりが行われていたことも間違いない。
 江戸以前には連歌があった。和歌を二人もしくは複数で作るものだ。そこから俳諧として古歌に詳しくない庶民向けの連句が派生した。制約が少ないので参加しやすかったのだ。 松尾芭蕉も俳諧連句の宗匠であった。彼には弟子の土芳の記録になる次の有名な言葉がある。これは芭蕉往時の句会(連句の座)の精神を述べたものであるが、今日の句会の精神的拠としてなんら色を失していない。なぜなら目的をもった集団の普遍的摂理が述べてあるからだ。

 学ぶことはつねにあり。席に臨んで、文台と我と間に髪をいれず。おもふ事速にいひ出て爰(ここ)に至つて迷ふ念なし。文台引下ろせば即反古也。
                         三冊子(服部土芳)

 芭蕉の時代、まだ俳句ではなく連句であったから形式は今の句会とは異なっていただろう。しかし、文芸を囲んだ人間関係という点では同じである。また、俳句(連句)を通じて自分の生きる過程に何らかの付加価値を与えたいという人達の協力で成立している場であることも古今に差はあるまい。
 しかも集いの目的は「無用の用」「夏炉冬扇」であることも同様である。

 「学ぶことはつねにあり」という態度。これこそが句会に参加するための最低条件である。漠然と句会に参加する人がいると参加者全員のこころの流れを遮られてしまう。
 俳句の経歴・巧拙に関係なく、また俳句に限らず「常に、何にでも学ぶ」という態度をこそ持ち合わせたいものである。句座を共にする資格、これは「学ぶことはつねにあり」に言い尽くされている。

 「間に髪をいれず」とは当意即妙、打てば響くの意だ。元来、連句の座の流れを淀ませずに進行させる江戸時代の俳諧宗匠の心構えであるが、今日の句会においては参加者一人一人の戒めとなるであろう。機に応じ感に敏なること。人の話をよく聞き、そのこころを理解しようと努め、非日常の遊びの空間と時間を渋滞なく生み出し続けるために必須の心掛け。

 「おもふ事速にいひて」も本来、連句を付けることであろうが、句会に置き換えるなら選句後の講評を求められた場合、速やかに意見を述べることと読むことができる。
「爰に至つて迷ふ念なし」と言うことである。

 句会に参加しているときは、自分の句にばかりこころを置くものではない。その場で出会った仲間の句を味わい、選句し、講評するという流れの中に積極的に浸り、極力場を乱さぬよう心掛け、何時間かの充実した時を過ごす。日常生活から敢然と遊離した貴重な場を連衆と呼ばれる人達と築き上げ、句会を終了したら各人散り散りに日常生活に戻る。これが「文台引下ろせば即反古也」である。
 反古とは書画などを書き損じた不用の紙のことから、転じて役に立たない物事をいう。
 いかに熱中した句会といえども、終わればそれは済んだこととして見切る。これは逆に言えばそこまで一心に集中して句会に参加しなさいということであろう。ここに一期一会の醍醐味がある。

 芭蕉はこうして句会(連句の座)を自身の生涯を賭けた芸の道の縮図として、参加者にその精神の高みを求めたのだ。
 「文台引き下ろせばすなはち反古」とするためには、句会に参加するまでの時間が重要なことは言うまでもない。月に一回の句会ならその数時間のために残りの一カ月を過ごす決意がいる。それは悲壮なものではなく、心の片隅に俳句をしのばせておくことだ。寂かな緊張感を常に維持し、句会においてはその場の共同精神にとっぷり浸かり、過ぎし一カ月の成果を確認、来る一カ月への励みとする。 「学ぶことはつねあり」とはこういう普段の心掛けを言うものなのだ。

なぜ句会に参加するか
 芭蕉をもってきたために、文章が堅くなり過ぎたようである。いかに論立てしようとしまいと、句会の楽しさは参加した者のみが知る何かがある。それをあえて説明するために実に好都合な心理学の理論がある。企業研修などでよく使われるマズローの欲求五段階説だ。
 人の欲求には大まかに言って五段階があり、それらが並列するものではなく、一つの欲求が満たされるにつれてステップアップするというものである。

 マズローの欲求五段階説とは
  一 生理的欲求
  二 安全欲求
  三 帰属欲求
  四 承認欲求
  五 自己実現欲求
の五段階を言う。

 生理的欲求とは生きて行くために必要な食を基本にした欲求で、それを満たすためには危険も返り見ない。したがって、安全欲求の前段階に置かれている。
 生理、安全がほぼ当然となった社会においてはどこかの組織に参加したい(帰属)という欲求が出てくる。高校野球などで地元高校の応援に夢中になったり、オリンピックのにわか愛国心「ニッポンチャ!チャ!チャ!」などかこれである。
 それが満たされると、さらに人から認めてもらいたい(承認)と思うようになる。
そこまで行くと最後には自己を発見し、自己の可能性を見出し、実現していきたいという高度な真に人間らしい欲求が出てくる。
 平和でものの豊かな社会ではこれらが順次欲求として頭をもたげ、満たそうという行動を生むのである。

 これを句会に置き換えることはたやすいことだろう。
 句会に参加することで第三の帰属欲求を満たし、投句した自分の句が高い点を得ることで承認された喜びを感じ、一連の句会の流れの中で個々の力量に応じた力を注ぐことで自己実現することが可能となる。これらは順次質的に高めつつ繰り返される。

 こうして、昔からお天道様と米の飯がついて回り、空気と水と安全は無料と言われる国で歌会や連歌、俳諧連句や句会が続けられている理由がマズローの人間性心理学でうまく説明できるのである。

地方句会の問題
 芭蕉のような優れた指導者のもとに句会が開かれるならいささかの問題もない。しかし地方においては主宰・指導する者がいない。いきおい参加者全員が指導者であり被指導者となる。
 会員の中にはベテランもいれば新人もいる、才気溢れる人もいるだろうし遅々として上達しない人もいるだろう。しかし、句会は俳句というメディア(媒体)を介した共同の遊び場だ。そこには日常を離れた人々が虚構の「遊び」の場を築くためにさまざまな個性を持って集まっている。

 「遊び」の最大の長所、それは日常の利害から離れた純粋な場で、何が起こるか分からないことを、かつ起こってしまったことを、とことん楽しめることである。

 虚に遊ぶ。そこには新人もベテランもないのだ。ただただ虚心に遊ぶ。それが最大の、最高のルールなのである。
 句会はその「遊び」のメディアとして俳句を用いる。句会という俳句メディア空間に集う目的はただ一つ、無目的で公平な俳句という「遊び」のためなのだ。したがってそこでは依存は許されない。もとより「遊び」に依存は存在しないものだ。常に自分に何ができるかを模索すること。これが一番楽しく「遊ぶ」秘訣だろう。なぜなら、「遊び」は常に過程を楽しむもであるし、いかなる場合も自分が主役なのだから。
 そして自分がより楽しくありたければ周囲を楽しませることだ。真剣に「遊ぶ」という共通体験の場においてこそ真に個性が息づいてくるだろう。

 個性の異なる幾億の天才も並び立つべくかくて地面も天となる (宮沢賢治)

 わたしの座右の銘である賢治の「農民芸術概論綱要」に見られる言葉。これは戦前の東北農民の苛酷な労働を、そのままの状態で芸術にシフトするという理想主義に基づいて説かれたものだ。
 
 芸術をもて、あの灰色の労働を燃せ(同)

 これこそ壮大な遊びにほかならないのではないか。句会はこれを日常生活と同規模にスケールダウンしたものだろう。個性の異なる幾億の天才。賢治は誰もが何らかの能力を持っていると信じていた。句会という小空間においても、一人一人が全体のために惜しみなく力を発揮するなら天才と呼べる何かを出してくるに違いない。
 指導者と被指導者という固定的な一方通行の力関係が築けない地方句会ならではの良さがここにあるのだ。
 ただし、元来、固定的な関係などはあり得ないこと、主宰と言えども会員からの影響を受けずに成長することはあり得ないことを蛇足までに。

オズの魔法使い
 ここに「オズの魔法使い」とは我ながら唐突である。これは有名なアメリカのバームの童話。ジュディー・ガーランドのミュージカルでも知られているからストーリーはあえて紹介するまでもないだろう。さまざまな願いを魔法使いのオズにかなえてもらいたい一行がオズの住むエメラルドの都へ行く間のさまざまな冒険物語である。

 この話の示唆的な点は、エメラルドの都へ通ずる黄色いレンガの道の存在である。どこにいても、迷っても、常にこの黄色いレンガの道に戻ることで確実にエメラルドの都へ行くことが可能なのだ。これは目的即ち志と、目的へ向かおうとする持続する気持ち、即ち意志を象徴していないか。
 たとえ進路を失って、路頭に迷っても、困難な事件に出会って弱気になっても、黄色いレンガの道に戻りさえすれば、目的に向かって歩み続けることができる。わたしは幾度、人生に黄色い道があればどんなにいいかと思ったことか。

 句会に話を戻そう。賢明な読者諸氏には既に話が見えているだろう。
俳句の志高く掲げても、なかなかに難しいものだ。そんなとき、句会の仲間の誰かがエメラルドの都(俳句)へ続く黄色いレンガの道を指し示してくれるなら、句会に参加する会員全員が歩み始めることができる。「学ぶことはつねにあり」と芭蕉につながる精神を想起することができるのである。
 孤高を歩むごく少数の人を除けばこうした仲間の存在はありがたいに違いない。

孤と衆と
 句会では仲間と歩むことで志を失うことなく意志の確認ができると述べた。しかし、俳句は元来は孤独なものである。たとえ大勢の吟行で仲間と語らいながら作句したとしても、創作工房は孤独な営みだ。

 けれども鑑賞は共同の営みである。そもそも創作は常に鑑賞を前提にしているはずだ。

 「いや、自分は誰にも見せずに一人で俳句を楽しんでいる」

 こういう人もいることはよく知っている。でもよく考えてみると、たとえ密かな楽しみで句作をしていて、絶対に誰にも見せないという人でも、必ず自分という鑑賞者は想定しているはずだ。自分という鑑賞者を排除することは絶対に不可能なのだ。

 句会は多くの鑑賞者に自分の句を見てもらう場である。まさに句を鑑みてもらう場なのだ。孤独な創作の結果を句会参加者という鏡に照らすことで、自らを別の視点から鑑みることができる。
 ここにおいて、平凡な我々が自らを相対化する哲学者の視点を得ることになる。

切磋と情
 句会という俳句メディア空間に集う人達の間には、互いに研鑽しようという「切磋」と、励まし合おうという心の通い合いつまり「情」が交錯しつつ、かけがえのない人生という有限な時間の中の潤いある場となる。

 座には連歌の雅に飽きた上流社会の人と、俗に生きる庶民の上昇志向とを同時に満足させる社会的ヒエラルキーを超える場としての機能もあった。
    (乾裕幸「松永貞徳、国文学 解釈と鑑賞一九八四年六月号」要約)

 このように、古来からさまざまな人生を背負った人達が交響して、句会という俳句メディア空間に「遊ぶ」。

 先の黄色いレンガの道さえ歩んで行くなら句会に直接参加した仲間だけでなく、遠く空間を隔てた仲間との交流も同時に行っていることになる。志を同じくした仲間に無言の叱責と励ましをいただいているのだ。

 同様に「学ぶことはつねにあり」と芭蕉に代表される時代を超えた仲間とも切磋琢磨し、道を同じくする同友としての情を交わし、虚の「遊び」、魂の交歓をすることができるのである。

 ここに至って、地方も本部も時代も関係ない本当の意味での「出会い」が、俳句をメディアとした虚構の「出会い」が成立するのだ。

 俳句メディア空間に心底たゆたっている時、三昧の境地を疑似体験していると感じているのはおそらく筆者だけではあるまい。しんとした会場で紙と鉛筆の音だけが辺りを満たす。 誰の句とも知れぬ作品に固唾を呑んで感動し、言葉の醸し出す世界に浸るとき、優れた芸術家や宗教家のみ到達できる世界を垣間見たような気がするのだ。

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