2020/08/12

哀悼 櫻井進教授とその遺稿

 2008-02-16に書いた追悼文。続けて櫻井教授が雑誌に書かれた論文をまとめた物を掲載します。おそらく遺稿となるものでしょう。

櫻井教授とは今池の飲み屋で知り合いました。気取りの無いただの酔っ払いでしたが、学について語り合うときは教授と素人の垣根を取って真剣に話して下さいました。そして「ふ~、やはり学問は大学では無く、巷にある」と仰いました。

交通事故で急逝され、「事故に遭うちょっと前までそこで呑んでいたんだよ」と行きつけの鮨屋の大将が悔やんでいました。「もう少し引き留めておけばよかった」と。

奇しくも瀬戸の本業窯水野半次郎さんのところで知り合った民芸を研究する教授が櫻井教授の後任として赴任された方でした。しかも有名な陶芸家濱田庄司のお孫さんでした。世の中、不思議なことがあるものです。

以下が、当時書いた物です。

哀悼 櫻井教授

新聞やテレビでも詳細に報道されましたが、南山大学の櫻井進教授が輪禍で亡くなりました。


教授とは行きつけの萬福鮨で知り合っただけですが、親しみやすい方で、いつも楽しく議論を交わしました。


以下はあるサイトに書いた文章です。一部を修正して掲載します。


夕刻、ウニタに問い合わせたら「現代思想」があるというので早速購入して櫻井先生の論文を拝読しました。ポスト・フォーディズムによって、名古屋が整然となるにしたがって、庶民のノイズが大きくなる。これは櫻井さんの一連の江戸物に連なる思考だと感じました。アジールとしての今池の存在はますます大切になるのではないでしょうか。

仕事を終えてから萬福に行き、櫻井教授の好きだった清酒「立山」をカウンターに供え、大将と偲びました。お店の帰りに事故にあわれたそうで、大将はとても辛そうでした。

蘭丸のおかみやピーカンファッジの社長、中部大学の松井さんらも通夜に列席してから萬福に駆けつけ、故人について語らいました。冗談をいいつつも、寂しさや哀しさは隠せません。

おそがけに二人の紳士が六文銭から萬福にやってきました(やはり櫻井さんの通夜の帰りのようです)。それで急に懐かしくなり、久しぶりに六文銭(以前の大箱では無く、従業員が引き継いだ小さなお店)に顔を出しました。お客さんは誰もいませんでした。女将のバンちゃんは相変わらずひっそりとたたずんでいました。

新生六文銭は早くも8年目に突入するそうです。わたしは実に久しぶりに「もへいじ」を味わい、その味のよさに時の流れを感じたのですが、結局、誰もが、櫻井教授の死に対する言いようのない悲しみを笑みと酒でごまかして時間と格闘しているようで、誠に辛い一日でした。


手元にある櫻井教授の書かれた「江戸のノイズ」(NHKブックス)や「江戸の無意識」(講談社現代新書)から推察すれば、氏は常に江戸という都市の装置がもつ意味を明らかにし、真の解放区(アジール)のありようを模索し続けておられたのでしょう。


学生に白紙を渡し好きなことをしなさいという課題を出されたことがあると聞きました。


これは自由を得た時、人は何もできないということを学生たちに実際に体験させたかったのでしょう。


櫻井先生自身、いつも寂しげで、本当の自分を捜し求めておられていたようです。


享年51歳とは余りに早い。


人文科学はこれからが集大成ではありませんか。


江戸の仕組みを説いた眼差しで大名古屋の奥に潜む構造を明らかにしようとされた矢先の夭折。惜しんでも惜しみきれません。


どうぞ、死という究極のアジールでゆっくりお酒を楽しんでください。


続けて「現代思想」2007年7月号に故櫻井進教授の書かれた論文の要約を掲載します。心より哀悼いたします。


大名古屋論 ポスト・フォーディズム都市の行方

1. ポスト・フォーディズム都市・名古屋
現在、名古屋はトヨティズムの都市になりつつある。
*トヨティズム(トヨタ生産方式)とは「企業目標」への労働者の自己管理に基づく自発的・自立的な参加、すなわち「主体化」を要求するシステムである。(R.ボワイエ)
   例:QCサークルへの自発的参加や創意提案制度など。                
*その「主体化」は、「主体=隷属化」(M.フーコー)にいたる可能性をもつ。=ゆるやかな自発性の名の下に、より強力な隷属をせまるものにほかならない。
  「生産的協働」の変容。
*ポスト・フォーディズムにおいては、主体性が資本によって包摂される場合に、全体主義的な性格をもつ。

2. 監視と排除
トヨタの本社機能の名古屋移転によって、名古屋で「生産的協働」が生産以外の場で行われるようになる。
 *名古屋駅周辺地区は、清潔さを保つべく人工的な空間として管理されている。

3.1995
グローバリゼーションによって日本の戦後型システム(日本的雇用システム・日本的経営)が崩壊した。
→10年にわたる不況とグローバリズムの進展は、トヨタの国際競争力を高めたと同時に、労働現場の強化と労働者の多国籍化を強めた。
→非正規雇用の拡大・若者の離職率の上昇・婚姻率の低下など。

3. 大名古屋というキッチュ
 名古屋は、開発独裁政権である明治国家から、相対的な距離をとってきた。
*名古屋ブーム以前の名古屋は、正統的な価値観から逸脱したキッチュだった。
・キッチュなB級グルメ:あんかけスパ・味噌カツ・「エビふりゃー」
・「純粋スノビズム」:名古屋嬢・ブランド好き
・成長と発展という目的から逸脱してゆこうとするポストモダン的様式性
現在、近代日本からあえて逸脱しようとする名古屋のキッチュ性が消去されようとしている。
・名古屋駅前の再開発は、キッチュ都市・名古屋をグローバルな資本を表象するポスト・フォーディズム都市へと変容させた。
・名古屋のキッチュ的でポストモダン的な戯れの空間の光景は終焉を迎えようとしている。

4. イオン都市・名古屋
名古屋では「ジャスコ文明」が郊外だけではなく、都市の中心部に発生している。=トヨタ的な郊外が流入していると考えられる。
*1980年代後半から外国人の多様化・多国籍化が始まり、現在では旧来の在日コリアンは名古屋各地に分散し、新来の外国人が中心部に集中している。

5. ポスト・フォーディズム都市の行方
・名古屋駅前に巨大なモニュメントやパノラマを展開したトヨタは、「純粋なスノビズム都市」名古屋を越え出て、グローバルな資本のたわむれを行っているのかもしれない。
・「人間的なものを何ももたぬ」資本が人間によって統制可能か、「動物化した資本」の行方を見定める必要がある。ポストモダン的なフォーディズム都市・名古屋のモニュメント・パノラマに込められた「夢の残滓」が、廃墟はどのように立ち現れているのかを見てゆかなければならない。
*トヨタの輝かしい「夢」の対であるジャスコ文明の先端としてのイオンは、すでに廃墟の様相を示している。
・在日外国人同様、「日本人」も複数化し、非均質化されたマルチチュードである。マルチチュードの「相互のコミュニケーションや<共>的行動を可能にする<共(the commons)>」(ヴェルノ)が形成される場のかすかですらある存在可能性を見出していかなければならないだろう。

*QCサークルとは、QC活動を行う際に組成される、同じ職場における作業者のチームのこと。一般的に10名までの小規模のチームを構成し、チームのメンバーはそれぞれ役割分担し、自主的に問題点の発見、改善案の提示を行う。全社的品質管理活動の一環として自己啓発、相互啓発を行い、QC手法を活用して職場の管理、改善を継続的に全員参加で行うものである。QC活動は現場の作業者達による、職場での自主的な活動であり、経営者や管理者はQC活動を支援する。QCサークルがうまく行われていれば、提案制度と同様に、仕事を行っている個人の改善意思を仕事に反映させる役割を担っていたはずである。

「現代思想」2007年7月号

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