2020/08/16

俳句の効用?

 1993.3

俳句の効用?

1993年9月、ある俳句の機関紙に書いた俳句についてのミニエッセイです。

底冷えやこれより小さくはなれぬ

 俳句は生活や仕事、自然などいろいろな場面に出会ったとき、写真を写すように好きな場面や景色を選び出して写し取ることで、ともすると同じことの繰り返しになりがちな惰性的日常生活を一種の不思議な空間に作り替えることができます。
 それは五七五という一瞬の短い詩だから可能なのです。できあがった作品が自分の思い以上に深みを持ったりしますがそれは短くて言葉足らずのために解釈がかえって自由にできるからです。

逃げ水の奥より猫を掴み出す

 俳句を書き留めるということは時の流れに楔を打ち込んで、文字の上に安定した情景を記録することです。なぜなら観じたもの(見て心に焼き付いたもの)・感じたこ と(心が揺り動かされたこと)は時間とともに薄らぎ喪失してしまいますが、俳句は 写真と同じように好きなときに引っ張り出して昔を懐かしむことができます。
 ですから人は俳句を作ることで精神的安心感とものを創作するという満足感に浸る ことができるのです。

秋風は湖水のなかに潜むらし

 反対に俳句には毎日の繰り返しの中で固定しがちな観念を自在に解放する作用があります。俳句作品は絵や写真と違って文字だけで示されていて具体的な像が描かれていませんから、常に架空の現実を生み出し続ける力があるのです。読むたびに想像力でいろいろな場面や情景が創り出せるからですね。
 その想像の世界では全く自由ですから日々生を新たにし、深々とした息吹を肺に躍 らせ、そこから心身の活性と環境との調和・生きる方向の発見といった喜びに満ち溢 れることも可能なのです。

 以上は俳句にこんな効用があればいいなという願望です。またそんな俳句を作るこ とができたら本望だなという希望でもあります。果たしてどこまで実現できるかは分かりません。でも一度俳句に手を染めたからには切望し続けていこうと思っています。

 わたしが俳句にかかわって実に20年が過ぎようとしています。自分自身それに気付 いて大変驚きました。

桃の実を地球味はふごとく食ぶ

 以上の俳句は初公開の若いときの作品です。

0 件のコメント: