2020/08/08

游氣風信 No104「理不尽な話-ボーデの法則-」

游氣風信 No104「理不尽な話-ボーデの法則-」

三島治療室便り'98,8,1

「游氣風信」は施術のクライアント(高齢者が多い)や知人に毎月手渡しや郵送、メールでお渡ししていた通信です。できるだけ易しく書いていたつもりですが、読み返すと少しくどい感じがします。文章は難しいですね。

今回は惑星の発見に役立った不思議な法則と、その名前が発見者に対して誌残念な結果になっているというお話です。

《游々雑感》
  
 天文愛好家の間でよく知られた法則に「ボーデの法則」があります。法則と称していてもちょっと怪しげなものです。

 太陽の周りを回っている水星や火星や金星など地球の兄弟星のことを惑星というのはご存じでしょう。それらを総称して太陽系といいます。これもご存じですね。
 太陽系の星は毎晩少しずつ見える位置がずれていくので空を迷っているという意味から惑星と名付けられました。
 太陽系以外の星は常に同じ位置に配置され、北極星を中心に空を回転しているように見えるので恒久的に動かない意味の恒星と呼びます。

 惑星を太陽に近い順、つまり内側から外側に向かって並べると

 水星、金星、地球、火星、小惑星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星(冥王星は2006年に太陽系から外されました)

となります。小惑星は一つの星ではなく同じ軌道を巡る星のかけらの総称です。

 「ボーデの法則」とはその太陽系の惑星の距離間の比率に一定の数列が存在することを発見した経験法則(科学的根拠はないが、経験的に法則を見いだしたもの)です。なぜその法則が成立するかの論理的根拠は不明(もっともそれが経験則の経験則たる所以ですが)でも当時まだ存在を知られていなかった惑星の発見に大いに力を発揮した不思議なロマンあふれる法則です。

 「ボーデの法則」は正式名称を「ティチウス・ボーデの法則」といいます。
 1766年、ドイツの天文学者ヨハン・D・ティチウスは、惑星の距離がある意味ありげな数列にしたがっていることを発見しました。同じドイツ人のボーデがこれを支持、熱心に論文などを発表して広めたのでこの法則は「ティチウス・ボーデの法則」と呼ばれるようになりました。

 その法則の詳細は次のようなものです。

 まず、3の倍数で次の数列を作ります。

  0 3 6 12 24 48 96 192 384

 次に、それぞれに4を加えます。すると以下の数列ができます。

  4 7 10 16 28 52 100 196 388

 この3番目の数字、[10]を太陽から地球までの距離とします。

 今度は実際の太陽から各惑星間の距離比を書き出しますから比較してみてください。

 水星(3.9)    [4]
 金星(7.2)     [7]
 地球(10.0)    [10]
 火星(15.2)    [16]
 小惑星(27.7)   [28]
 木星(52.0)    [52]
 土星(95.4)    [100]
 天王星(191.8)  [196]
 海王星(301.0) 
 冥王星(395.0)  [388]

 どうです。ご覧のようにティチウスの考えた数列と惑星間の距離比が驚くほど一致します(海王星は例外)。これが天文愛好家の間で音に名高い「ティチウス・ボーデの法則」です。

 「なぜ3の倍数なのか」
 「どうしてそれに4を加えるのか」
 「一体全体どうやってこんな珍妙な法則を発見したのか」
など理由は全く分かりませんが、海王星以外は見事な一致です。

 しかも、この法則には驚くべき事実がありました。
 なんと「ティチウス・ボーデの法則」は論理的根拠がないにもかかわらず当時未発見だった小惑星や海王星発見に寄与したのです。

 「ティチウス・ボーデの法則」が発表されたころ、小惑星も天王星も海王星も冥王星も発見されてはいませんでした。ところが1781年、ハーシェルという学者が天王星を発見するとこの距離が「ティチウス・ボーデの法則」に一致するではありませんか(法則では[196]で実際には191)。

 それではと火星と木星の間の[28]辺りにも惑星があるかも知れないと天文学者たちがその辺りの宇宙空間を一生懸命さがすと何と本当に星がありました。1801年、[28]とほぼ同じ距離比27.7のところに後にケレスと名付けられた小惑星を発見することができたのです。小惑星は昔大きな惑星であったものが何らかの理由で粉々に砕けてしまいその軌道上を無数の星のかけらになって回っているものとされています。今日までに約4000個見つかっているそうです。

 さらに後になって発見された冥王星(太陽系で一番外側の惑星)は軌道が大きな楕円形で太陽からの距離は一定ではないにもかかわらず、平均すると上記のように大体「ティチウス・ボーデの法則」に当てはまるのでこの法則の面目は保たれたのでした。

 冥王星の内側の海王星はニュートン力学に基づきルヴァリとアダムスによってその存在が予報され現実に発見されました。この発見はニュートン力学の勝利と呼ばれています。

 海王星の発見に際しても「ティチウス・ボーデの法則」が「気運」を高めるのに貢献し、実際見つかるのですが、残念ながらその数字はさらに外側の冥王星に符合してしまい、海王星のみ「ティチウス・ボーデの法則」から全く外れるということになりました。

 いずれにしても意味があるのか無いのか良く分からないなりに「ティチウス・ボーデの法則」は18世紀末から19世紀にかけて、天文学の発展に大きく寄与したのです。

 さて、この項のタイトルは理不尽な話でした。
 意味も無いのに星間の距離比を当てたことが理不尽という訳ではありません。何が理不尽かと言いますと、この法則を考え出したのはティチウスであるにもかかわらず、それを広めたボーデの名前が有名になり、当初「ティチウス・ボーデの法則」と呼ばれていたものがいつのまにか「ボーデの法則」になってしまった点です。

 確かに
 「ティチウスとは覚えにくいし、呼びにくい」
 「ボーデは読みやすいし、覚えやすい」
 「ティチウスは書いていても長ったらしくて嫌になる」
 「その点ボーデは書きやすい」
色々な理由はあることでしょう。しかしこのままではトンビに油揚をさらわれたようなティチウスさん。
 これでは法則を編み出したティチウスさんが
 「あまりに哀れだ」
 「かわいそうだ」
 「理不尽だ」
 「ボーデはうまい汁を吸い過ぎだ」
と強く同情しているのです。

 これに似たケースには地動説を唱えたコペルニクスとガリレオ・ガリレイの関係もあります。

 コペルニクス(1473~1543。ポーランド)は肉眼による観測とギリシャ思想に基づいてかの暗黒の中世に、当時常識とされた天動説に反対して太陽中心宇宙説を説き、権力に屈せず地動説を唱えた聖職者です。彼は近世世界観を樹立した功労者とされています。コペルニクスは太陽が地球を中心にして動いている(天動説)という当時の宇宙観を根底から否定して、大胆にも地球が自転している(地動説)と言ったのです。

 それを引き継いでガリレオ(1564~1642。イタリア)は望遠鏡(ガリレオはガリレオ式望遠鏡という今日の望遠鏡の発明者)を用いたり、実験的・実証的方法を用いてアリストテレスの自然哲学を否定し、近代科学の道を開いた学者として知られています。ピサの斜塔から大小二つのボールを落とす実験は有名。

 ガリレオはコペルニクスの地動説を是認したために宗教裁判にかけられ、一旦は裁判の場で地動説を否定しますが

 「それでも地球は動いている」

という名言を残しています。
 この真意は「俺が否定しようと、宗教が否定しようと、誰が何と言おうと地球が動いている事実は真実なのだ」というものでしょう。

 コペルニクスとガリレオ・ガリレイ。
 聖職者と科学者、近世と近代、演繹的と帰納的との違いはありますが、共に地球が太陽の周りを回っていると考えたことは同じです。しかし、今日、地動説と言えばガリレオのものとされて、コペルニクスはあまり表に出てきません。

 もっとも哲学などで発想が根底から覆ったりしたとき
「コペルニクス的転回(コペ転)」
などと言いますからコペルニクスの名前は主にこちらに残っています。
 「コペルニクス的転回」はカントに由来しているそうです。
 ふだんでも考え方ががらりと変わるとき使います。

 先程、コペルニクスはギリシャ思想に基づいて地動説を唱えたと書きました。そうです。驚くべきことに地動説(太陽中心宇宙説)は古代ギリシャの天文学者アリスタルコス(紀元前320頃~紀元前250頃)によって既に説かれていたそうですからコペルニクスが言い出しっぺではありません。

 ならば地動説を言うときはガリレオ・ガリレイでなく、コペルニクスでもなくアリスタルコスを思い浮かべなければ理不尽と言うべきでしょう。けれどもやっぱりガリレオが一番覚えやすい名前ですね。コペルニクスは舌を噛みそうですし、アリスタルコスに至っては早口言葉さながら。

 地動説の場合、三名によって説かれた中身の質の問題や時代のズレもありますが、何よりも言い易く覚え易い名前が広まるのはボーデと場合と同じです。畢竟「人は易きに付く」ものなのです。かなり強引な結論でした。

 今回の文章は草下英明著「星の百科(現代教養文庫)」および「天文用語辞典(天文ガイド編)」と広辞苑を参考に書きました。


 

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