2020/08/18

古書店の思い出

 古書店の思い出

1993年8月

 最近なかなか行けないのですが、わたしは古本屋が大好きです。


 薄暗い店内にカビとホコリの入り混じった湿っぽい匂いが立ち込め、帳場には鼻眼鏡をかけたおやじが新聞を読みながら時々積み上げられたカウンターの隙間からぐるっと店内を上目使いに見渡します。

 客はうしろめたいことをしているかのごとくうつむきがちに本を立ち読みしながら、 何か堀り出し物はないかと物色するのです。物色と言っても古書マニアのように売値の高い希覯書を探しているのではありません。読みたくても新刊書では高くて手が出 ない本だとか、すでに絶版になっている本などを探しているのです。あるいは探すという行為自体を楽しんでいる場合もあります。

 古書には深い思い出があります。それは宮沢賢治が自費出版した2冊の復刻版を苦労して買い求めたことです。

 宮沢賢治が大正時代に自費出版した詩集「春と修羅」や童話集「注文の多い料理店」 は現在1冊200万円もの値がついているといううわさです。希少価値ゆえの投機的な側面もあるようですが、賢治ファンは別の意味で「春と修羅」や「注文の多い料理店」 を入手したいのです。


 理由は、それらの本の紙の質から表紙の材質、挿絵、色まで賢治自らが細心の注意 を払い当時の技術で望める最高の本として発行していたからです。つまり今日の本の ように出版社が装丁をいっさい仕切るのではなく、すみずみまで賢治の心が配られて いたからこそ、何としてもその本を手にしたいのです。ですから本物が無理なら実物 に近い復刻版でもかまわないわけです。


 実際問題として古書店で本物を入手することは金銭的問題だけでなく困難でしょう。誰も手放さないからです。

 ということで実物の入手は現実的に無理でしたが、わたしはこれらの本のレプリカ (本物そっくりに作られた偽物)を手に入れることができたのです。それは学生時代 のことですからすでに20年近い年月が過ぎ去りました。

 当時「ほるぷ」という出版社から日本の名著復刻版シリーズが出たのです。その中 に賢治の「春と修羅」「注文の多い料理店」はともに別々のシリーズとして発行され ました。わたしは先に述べた理由からレプリカでもそれらが欲しくてたまりませんで した。
 けれどもそれらは何十冊かのシリーズの一巻として出ましたから、その中の一冊だ けを入手することはできません。そのためには大枚をはたいて全部買わねばならない のです。両方を手に入れるためには2つのシリーズを買わなければなりなせんからそ れは貧乏学生としてはなっから無理な話でした。

 しかし希望は簡単に諦めるものではありません。東京に指圧の勉強にひと夏の間行っ たとき、わたしは日本一の神田の古書店街を数日かかって何百件も回りました。ここ なら絶対あるという信念があったのです。けれどもそれは徒労に終わりました。
 名著復刻版シリーズの本はばら売りで結構陳列してあるのに目当ての本はどこにも ないのです。当然でした。そのシリーズを買った人だってその中の数冊あるいは一冊 が目的だったのです。要らない本は売りに出して資金を少しでも回収しようとしたに 違いありません。そして宮沢賢治の本を目当てに買った人も多いに相違ないのです。意外に思われるかもしれませんが、賢治の愛読者はけっこう熱烈な人が多いのです。わたしでもお金さえ自由になるならそうしたに決まっているのですから。

 それでも東京に来る機会はそんなに無いのだからと諦めませんでした。神田がだめ なら高田馬場があるさと、古書店マップ(地図)を買って、時間のあるときはあちこ ちと足を延ばしました。そしてついに所要で訪れた荻窪の小さな書店の高い棚の上に 置かれている復刻版「春と修羅」を発見したのです。その本は復刻版と言えども貧乏学生にはかなりの値段でした。

 さてもう一方の「注文の多い料理店」の方はひょんなことから入手できたのです。

 弟が地元一宮の古書店に行ったとき、家に電話をよこしました。なんとそこに復刻 版「注文の多い料理店」がある、しかしお金がないから店に購入予約をしてもいいか と言うのです。わたしはもちろん頼むと答え、すぐに財布を持って書店に向かいまし た。思い返せばこのときばかりは、我が人生に弟がいてよかったと心底思いました。正直言って、わたしはそれらの復刻版が欲しいという理由だけで大学を卒業したら ほるぷ出版に就職しようかと真剣に考えていたくらいなのです。

 名古屋の本山は学生街ですから、ご多分に漏れず何軒かの古本屋があります。10年 くらい前、その付近の一人暮らしのおばあさんのお宅へ定期的に往療に行ってい ましたが、その往路復路、ふらふらと古書を見に立ち寄るのが楽しみでした。

 ある日、大学生が不要になった学校のテキストを売りに来ていました。

 「どうして、上巻しかないんですか。」気難しそうな店のおばさんが聞いていまし た。
 「上巻だけでは買ってもらえないでしょうか。」
 「だめということはないけど、上巻を売り払って下巻だけ手元に置くなんておかし いでしょう。」
 「下巻は大学の講義ではやらなかったから買ってないんです。」
 「講義でやらなくても、わたしが学生のころは自分で下巻を買って読んだものです よ。もっとやる気を出さなきゃ。大学に行きたくても行けない人が一杯いるのに。し かもあなたは○○○大学でしょう。もっとしっかり勉強しなさいよ。国立大学だから 税金だって無駄になります。」
  学生の向学心の無さが信じられないという呆れと怒りの声が店中に響いていまし た。

 同じ店で風采芳しからぬ青年がときどき古ぼけた詩集や格安の美術書や俳句の本を購入していました。店のおばさんは眼鏡の奥の大きなまなこをぎょろぎょろさせてそ の貧相な男に興味があってたまらないという顔をしていました。ある日ついに興味が高じて勘定のとき口を開きました。

 「あなたは良く買いに来るわね。学生さんにしては年がいっているし、昼間からふ らふらしているけど何をしているの。」
 「いや、まあ適当にやってます。」
 「まさか失業中なの。」
 「まあ、仕事はしてますが失業者と似たようなもんです。」
 「本が好きなようだけど、無理して買っているのではないでしょうね。家族に苦労 をかけてはだめよ。仕事は何。」
 「指圧や鍼。」
 おばさんは目をぱちくりさせて失業者風の青年を哀れみとも励ましともつかぬ顔で 見ながら、どうしても欲しい本があって支払えないときは分割にしてあげると言いました。そしてその青年の買いたい本の値札よりほんの少し安くしてくれたのです。

 こういう気概のある店主が古本屋には多いので大好きです。
 先の風采の上がらぬ貧相な青年ですか。あれから10年たって今はこうしてワープロ が買えるまでになりました。

追記)いつだったかこの店の近所へ行く機会がありました。既に建物は跡形も無く大きなビルになっていました。

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